Huluドラマ『時計館の殺人』(2026)ネタバレ考察レビュー|細部までこだわり抜かれた原作の再現に実写化作品の理想形を観た

Huluドラマ時計館の殺人(2026)のネタバレ感想 綾辻行人の館シリーズの実写化第二弾!壮大なスケールの実写化を細かく語ります

館シリーズ実写化
シリーズ全作品レビュー2

――狂った時間の牢獄に囚われていたのは誰か?鳴り響く鐘の音に重なる時計の針が指す方向

作品データ

原題:Huluオリジナル 時計館の殺人

監督:内片輝

山本大輔

脚本:戸田山雅司

早野円

藤井香織

内片輝

原作:綾辻行人『時計館の殺人』

音楽:富貴晴美

主題歌:ずっと真夜中でいいのに。

「よもすがら」

製作:日本テレビ

配信:Hulu

出演者:

江南孝明:奥智哉

島田潔(鹿谷門実):青木崇高

福西涼太:鈴木福

瓜生民佐男:岡部ひろき

樫早紀子:吉田伶香

河原崎潤一:渡辺優哉

新見こずえ:阿部凜

渡辺涼介:藤本洸大

小早川茂郎:山中崇

内海篤志:今野浩喜

光明寺美琴:向里祐香

古峨倫典:伊武雅刀

古峨永遠:真木ことか

古峨由季弥:志水透哉

伊波紗代子:神野三鈴

田所嘉明:矢島健一

野之宮泰斉:六平直政

島田修:池田鉄洋

中村青司:仲村トオル

本レビューには作中のトリックについての重大なネタバレを含みます。

Huluドラマ『十角館の殺人』(2024),

および原作小説、コミカライズ等についても言及有。

総文字数:10970文字

読み終わるまでの時間:約27分

目次

製作背景:館シリーズ実写化第二弾はシリーズ原作5作目が選ばれた

1991年に講談社より刊行された、綾辻行人による同名小説『時計館の殺人』の実写ドラマ化。『十角館の殺人』(2024)に続き、Huluオリジナルコンテンツとして《館シリーズ》2作目の実写化となった。

綾辻行人の館シリーズは現在9作品が刊行されており、今作のHulu宣伝文句では“累計発行部数800万部”と紹介されている大人気ミステリーシリーズである。
今作原作はシリーズとしては5作品目となり、デビュー作である前作『十角館の殺人』からは間3作を抜かした形にはなるが、この実写ドラマ化は江南×鹿谷(島田)を軸としたシリーズとして構成していきたいのだろう。
(原作において江南はレギュラーキャラクターではなく、シリーズの探偵役は基本的に島田である)
監督は前作に引き続き内片輝監督。今作では第一部6話、第二部2話の計8話、二部に分けて配信され、前作より長尺になっているためか、BeeTVドラマ『減量ボクサー』(2009)やテレビ朝日系ドラマ『ハヤブサ消防団』(2023)などでもエピソード監督を務めた山本大輔監督が第一部第4話〜第6話までと、本編ミステリー研究会大学生たちの少年時代の回想シーンの演出を担当している。

二部制なことで“事件編”と“解決編”にドラマが分かたれ、観ている側も今作では推理して待つ楽しみが味わえたのではないだろうか。前作はその“叙述トリック”の構造とキャスティングの要素故に全話一挙配信となったが、今回もまた配信法から物語の楽しみ方をガイドしてくれた。
「あの一行の衝撃」を見事映像化した前作と比べると、今作のトリックには視覚的なインパクトや実写化に対する驚きは少ないかも知れない。しかし、その分配信限定というフォーマットの強みを活かした丁寧な演出と、こだわり抜いた美術・セットによって原作を映像化することの意味をしっかりと見せてくれた。今作もまた、前作同様、素晴らしい実写化作品だ。

内片輝監督により具現化された“人間ドラマ”としての時計館

今作で貫かれているのは、内片監督による“静の演出”。台詞よりも役者の演技や目線、カメラワークなどを用いて物語を進めていき、所謂“説明台詞”というものが極力省かれている。時には原作で台詞として表現されていた箇所までも演技と演出に委ねるような場面もあり、本来、“文字が映像になる”とはこういうことだったのだと思い知らされる。

例えば、原作でも後輩の新見に指摘されていた、河原崎の“女好き”設定なども、その台詞そのものはカットしつつ、事件が起こってから彼が新見を唐突に名前呼びするようになったり、距離が近くなるあたりで示唆されており、この二人の間に何かしらの関係性があったことも観ている側に推察させる。
また、河原崎たちとは幼馴染でもある樫はそんな関係性を知っているのか、劇中幾度か新見に対し険しい目線を向けていたりと、細かい描写が随所に取り入れられている。
(そういう仕草は見せつつもきちんと2人でいる時は仲が良いのも大学生の先輩後輩らしさがある)

今作の動機を作る一因となった小学生時代の瓜生と福西の河原崎への嫉妬にしても、もしかすると紅一点である樫の河原崎への感情に対するものが含まれていたのかも知れない。
……これらはすべて、あくまで筆者による邪推であるし、ドラマ内の台詞や設定で明言されたわけでも、原作に記述されているわけでもない。しかし、原作に“書かれていない”外側事情を、決定的設定として付け加えるのではなく、演出ディレクションとしてさり気なく演技に加えていく。これが、前作に引き続き内片監督の技術だと思うのだ。
しかもそれらが、原作を逸脱して勝手に描写したものではなく、原作からも読み取れる範囲内であるということが重要だ。こうした要素が、“原作に忠実でありながら”映像化する意味としてしっかりと効いてくる。

その他にも、原作においてミステリー研究会のミステリーを“推理小説”の方だと考えて入部した瓜生・河原崎たち先輩組と、“超常現象”だとわかった上で入部した渡辺・新見の後輩組とで光明寺の交霊会や行方不明に対する反応がまるで違っていたり、被害者の死に対してもそれぞれの関係性によって反応が違っているのも細かいながらしっかりと人間らしさを演出しており、
・光明寺の行方不明時に一人狼狽する小早川と、独自の推理を二人で展開し楽しそうな瓜生・河原崎の幼馴染コンビ
・樫・渡辺の死亡後、推理をしながら興奮気味になる江南に対して憤りと軽蔑を含んだ返答をする新見
など、そうした対比的な表現は今作のリアリティの積み上げに一役買っている。

ドラマ化にあたって、原作の物語に“生きた人間の感情や温度感”が加わったことで、より深く物語に没入できるし、それが台詞ではなく映像の中での細かい仕草や表情に表れているので、観返すほどに登場人物たちへの解釈が深まり、原作では被害者の一人として“数字”で見ていた人間たちが、人格を持って立ち上がってくる。
それで観返しても結末が変わるわけではないので、シリーズでも最多被害者数の、登場人物のほぼすべてが死亡する事実がより観客の胸を抉るのだ。

ただし、説明台詞が減った分、原作にある物語の本筋とはあまり関係ない雑学的な記述も省かれることにはなっており、綾辻作品特有の理屈っぽい登場人物の“らしさ”も削がれているのは残念に思う人もいるだろう。原作未読勢には、そのあたりは読む際の楽しみとしてもらいたい。
時計の文字盤の4が「IIII」と表記される理由や、日時計の仕組みなど、普通に生きていたらわざわざ調べないような内容も沢山書かれているので、例え結末を知っていたとしても原作を読み返す楽しみは充分にあるはずだ。

時計に囲まれた時間の牢獄……顕在化した中村青司の奇妙な館

CGとセット、150もの古時計で作られた“本物の”時計館

館シリーズと言えば、その名の通り主役はやはり中村青司の建造した奇妙な館になる。前作の十角館は、メイキングを見るに恐らくほぼ実寸大のセットを組んでいた様だし、それが可能なサイズの建物ではあったが、今回の時計館はそれをするにはさすがに規模が大きすぎる。何しろ旧館・新館と二種類の建物があり、もしも実寸大の建物を作るとなれば、必要な予算も時間も途方もなく大きくなるだろう。
今作の時計館は通常のドラマや映画の撮影らしくスタジオにセットを組み合わせ、CG拡張でその広大さを演出しているが、その画面の中には間違いなく、読者として想像していた“あの時計館”が存在していた。旧館の半地下になったことによる高い天井、格調高い壁や扉の、舞台となった時代を考えてもやや時代掛かったデザイン。そこには、中村青司と古峨倫典という二人の男の、常軌を逸した執念が込められている。

旧館ロビー、江南たち旧館側の登場人物が初めて足を踏み入れるその場所には所狭しと大量の時計が並べられており、そのどれもが、カチカチと音を立てて時を刻んでいる。
時計館旧館に存在する時計は全部で108。これは原作にもある設定で、今作でもそれは貫かれている。が、メイキングで内片監督が語った内容によると、実際にこのロビーのセットに108個の時計を並べると「意外に威圧感がなかった」のだそうで、結果として撮影時には、合計150以上の時計を用意して臨んでいるのだと言う。それらはすべて実物の古時計が集められ、鹿谷役の青木崇高曰く「関東中の古時計がスタジオに集まっていた」とも語られている。
映像作りにおける上手な嘘のつき方であり、結果として観ている側にも、そして演じている側にも、古峨永遠を閉じ込めたあの圧倒的な“時間の牢獄”を感じさせることに成功している。

地上波ドラマでは実現し難い、位相や距離感まで計算された音響面でのこだわり

美術だけでなく、音響面にもかなりのこだわりが見て取れ、劇中旧館で絶え間なく鳴り続ける時計の音や、納骨堂など壁の厚い室内での反響する声や音、時計塔の高さを感じる音の響きなども、地上波ドラマではなかなか聞くことが出来ない、距離感や空間を感じる効果音の作りになっており、配信限定が故の予算規模や製作期間の長さによってもたらされたものなのだろう。
内片監督はインタビューでドラマの製作環境を海外ドラマのクオリティに近づけたかったとも言っており、それがこうした細かい効果に繋がっているのだろう。

序盤、初めて旧館に足を踏み入れた時は荘厳に感じた時計の音も、事件が進むたび、神経を逆撫でするノイズに変わっていく。永遠が「監視されてる」と感じたその時計が、登場人物や観ている側の精神にも侵食してくるのだ。
この音の作り方が絶妙で、新館側、鹿谷や福西が登場する場面で鳴る時計の音とは明らかにその質感、音のエフェクト効果が異なっており、登場人物の感覚に合わせた音作りで観客の共感を高めている。
また、ハッキリ計測したわけではないが、旧館側の時計は今作最大のトリックに合わせ、その振り子の音や秒針のカチリ、カチリという音が意図的にズラされている気がする。実際にストップウォッチと合わせてみると明らかにズレが生じているのはわかるはずなので、お試し頂きたい。このあたりも、細やかな演出が光るところだ。

ホラースレスレの殺害シーンと隠し扉の秘密

時計に囲まれた旧館だけでなく、新館の時計塔は実際には二階建てのセットを撮り方やCG拡張で四階建てに見せており、ここでも高さを演出する音響効果でリアリティが増している。
会話する登場人物の位置関係を上下に置くことで高さを演出する画作りも、セットや美術への自信と、映像作りへの確信がなければ出来ないことだ。
屋外の納骨堂にしろ、メイキングを観るとわかるのだがロケ地にある外壁だけの建物の表面に煉瓦造り風の絵を描くことであの形を作り上げており、原作の館を顕在化するため、美術スタッフは今作でも最良の仕事をしている。

前作でもそうであったが、中村青司の館のからくり仕掛けや隠し通路などの造形も非常によく考えられている。
十角館にしろ時計館にしろ、長年使われず、その存在も限られた者しか知らない隠し通路は館の内装に比べ決して整備されたものではなく、薄暗い洞窟のような作りになっているというのもまたリアルな描写で、その知られざる空間の異質さを高めている。

隠し扉となっている時計が開く際のCGは、まるで時計の文字盤が生き物のように躍動し、それが止まるとそこから仮面をつけた犯人が姿を現す、といった演出になっており、その不気味さはさながらホラー映画のようでもある。
時計塔の外観映像や、こうした隠し扉の描写など、CG表現にはやはり多少チープさを感じる部分もなくはないが、このシーンに関してはそのチープさこそがうまくハマっており、密室の洋館という《クローズド・サークル》の恐怖感を煽る。
こうして見ると、日本のミステリーの演出にはホラー要素も多分に含まれていると思い至る。古くは市川崑監督の『金田一耕助』シリーズ(1976〜1979)も、その孫である(笑)同じ日テレ製作のドラマ『金田一少年の事件簿』シリーズ(1995〜1997)も。今作事件編最終話で小早川が引きずられて殺害されるシークエンスなどは、ホラーを超えてもはやモンスター・パニック映画のそれだろう。

原作を忠実に映像化する覚悟〜原作付映像化の理想の在り方

前作では「あの一行の衝撃」を如何にして映像化するか、が大きなテーマだったのだと思う。しかし、前作が高く評価されたのはそこよりもむしろ、一本の原作付き作品として、その原作に深いリスペクトを込めた作品作りをしたのが観ている側に伝わったからではないだろうか。

今作でもその意識は継承されており、壮大な仕掛け、長大な物語、過去回想を含む数多くの登場人物……配信限定というプラットフォームの自由度を活かし、それら“すべての要素”を妥協なく映像化したこと、それこそが最も評価されて然るべき点ではないだろうか。
「映像化にあたり改変は仕方がない」
と観ている側は無意識に諦めることに慣れてしまっているが、それは本当に観る側の都合だろうか?作る側や、スポンサーの都合を、何故か物分かり良く理解しようとはしていないだろうか?

今作のメイキングにて内片監督は、「(原作のすべてを)端折れない、書いてあることは全部やるしかない」と語っている。
ミステリー作品とはそこに書かれたすべてが伏線であり、細かい登場人物の行動や、ちょっとした記述のすべてが事件を解くヒントになる。そこを理解した上で、すべてを映像化するという覚悟……今作の、今シリーズと内片監督の座組の最大の強みとは、まさにそこにこそあるのだ。

「ロケ地探しや小道具の用意が大変だから舞台を現代化する」
「物語が長すぎるので一部登場人物を削る/2人を1人に合わせる」
勿論さまざまな製作環境があり、そのための工夫なのも、苦労の末なのもわかる。そういった作品にも名作があるのも理解はしている。
しかし、前作そして今作のように、企画段階の時点で原作を如何に再現するかを考え、地上波放送ではなく配信限定という手段を選び、それが続編製作が決まるほどに成功したという結果こそが、物作りにおいて何より大切な事実なのではないだろうか。それだけのこだわりを持って作ったからこそ、内片監督自身「メモを取りながら推理して観てほしい」と自信を覗かせているのだ。

江南がシリーズ主人公になれた理由:奥智哉の江南の成長と痛み

旧館での瓜生との関係と、救出時の涙はドラマのピーク

一方で、前述した登場人物同士の関係性の深掘りなど、実写化したことで新たに加えられた強みや魅力もある。ドラマ版の館シリーズが江南と鹿谷(島田)のシリーズとしての魅力を高めているのは、間違いなく奥智哉演じる江南の力だ。
原作より人間味を増した江南が、物語の単なる鑑賞者/記述者としてだけではなく、実感的な痛みを伴って物語の中に入ってくることで、観ている側もこの異常な状況下への共感が生まれる。
今作において江南は旧館の事件に巻き込まれる被害者の一人でもあり、江南が生き残ったのもたまたま運が良かっただけとも言える。そんな江南が事件の中で心を通わせた瓜生の痛みを真犯人に吐露するのは、原作にはないシーンであり、原作の江南からは出てこない感情なのだと思う。

事件の中で瓜生に対して十角館の出来事を語るのも、原作においてはそれを瓜生への疑いを捨てきれず躊躇する場面なのだが、ここでしっかりとその痛みを開示できるのが、このドラマ版江南の素直さと優しさの証だ。
今作では若き大学生として好奇心から事件に巻き込まれた前作とは違い、社会人として上司と大学生たちの間に立ちながら、彼らのケアもしつつ事件に向き合っていくことになる。
結果として旧館にいた人物は江南以外皆殺しにされてしまうわけだが、それでも観ている側に犯人候補とは思われないだけの誠実さも持ち合わせている。

そんな江南が、旧館で不安になると鹿谷のことを思ったり、手持ちのメモにヘタウマな鹿谷の似顔絵を描いているところも可愛いらしい。
旧館では常に緊張感のあった江南の表情が、解決編になって鹿谷(島田)といるようになると、前作のように、好奇心だけで突っ走っていたミステリーオタクの大学生に戻る。今作でこのコンビはしっかりと“ホームズとワトソン”としてブロマンスを形成しており、原作にはない兄弟感も出てきた。
二人を演じる青木と奥の演技のバランスもあるのだろうが、鹿谷の台詞も言葉自体は原作と同じでも、そこには江南への深い親愛が滲む。終盤病院から帰った江南への「社会復帰はできそうかい?」も、その優しい声色には原作にあるどこか皮肉めいた響きが感じられない。
(勿論原作でも皮肉で言っているわけではないのだが、原作鹿谷はもう少しひねくれて見える)

こうした二人の関係性があればこそ、事件編最終話で江南が救出された際の、涙を流し声を震わせながら鹿谷に縋り付く姿に観てるこちらも涙を流せるのだ。
この時江南は、前作の大学生だった江南に戻り、一人の弱い、被害者の青年に戻れている。仕事仲間と、同じ傷を持った友人を喪ったばかりの、孤独な事件の生存者。
張り詰めていた糸が切れたようなこの演技は、今作最大の見どころで、奥の演技もピークを迎えている。

ドラマ版鹿谷(島田)とのコンビは江南でなければ成立しない

鹿谷にしても、相変わらず飄々とした様子で自らの興味に従って事件を追う奔放さがありながら、今作では新館側で江南と離れていることで、イマイチ捜査が“ノッて”きていない。
旧館側の江南と瓜生に関しては互いに“友人を喪い重荷を背負う”という共通の傷を媒介に原作よりも関係を深め、その瓜生の殺害によって江南はよりキャラクターとしての深みが増している。
一方、新館側の鹿谷の相方となる福西は、原作でのミステリー好きで鹿谷門実のことも知っていた、という設定がオミットされ、どちらかと言うと鹿谷に巻き込まれるキャラクターとして演出される。それは恐らく敢えてやっていることであり、こうして福西の関わりを抑えることで、第二部での鹿谷と江南のパートナーシップと対比させているのだと思う。

シリーズとしても瓜生は言わずもがな、福西も今後再登場することは原作的にも(現状:『奇面館の殺人』までは)ないので、あまりこの二人が良いコンビになられても困るので良い改変だったのではないだろうか。

痛みを感じる遺体描写による、事件の悲惨さの可視化

今作もまた配信限定の強みを活かし、遺体描写にもまったく容赦がない。時計で顔面を殴り付けるなどの犯行には痛みが伴い、観ていて顔を顰めるほどに痛々しい。第2話での鼻を折られて床を這いずる渡辺や、顔面に時計がめり込んだ樫なども、これが本当に特殊メイクか疑うほどに画面から痛みが伝わってくる。
樫役の吉田伶香は恋愛リアリティショー『オオカミくんには騙されない』シーズン9に出演しており、渡辺役の藤本洸大は第35回ジュノン・スーパーボーイ・コンテストグランプリ受賞者である。この2人のファンがあの映像をどう観たのか、勝手に不安にもなるほどだ(笑)。

しかし、残酷な表現は決して面白半分のグロ・ゴア描写というわけではなく、その痛みによってこの事件の悲惨さを際立たせる演出として取り入れられているものだ。作り物じみたグロさではなく、観ている側が顔を歪めるような、痛みを伴った表現。それにより、被害者たちの無念や苦痛がきちんと伝わる。
特に今作は、本来であれば殺害される理由がなかった、誤解や、犯人都合の口封じとしての殺人がほとんどでもあるため、余計にその痛みには切迫感が伴う。

旧館には三日間外部の人間が入れないために、遺体はその場に毛布だけがかけられて放置される。
遺体にはきちんと死後硬直が起こり、姿勢が変わらず青黒くなっていくのも細かい部分だが、きちんと描写されていて感心してしまう。旧館広間で殺害された渡辺の遺体などはずっとその毛布からはみ出た脚がチラチラ画面の端に映っており、この残酷な事件が現実のものであることが可視化されている。

ここから、真犯人についての記述があります。

ミステリーの再現という“フェア”さ〜真相の推理はすべて可能だ

今作の最大のトリックである新館と旧館の“時間の流れのズレ”に関しては、館全体の構造や被害者の殺された理由から推測が可能であるし、原作で示されるヒントはすべてがきちんと映像化されている。
カップ麺が3分未満で出来上がってしまうことで、食べた者が微妙な顔をしてパッケージを見やるなど細かい描写にもきちんと気を配っており、睡眠薬にしても殺人事件や行方不明事件が起きて怯えているはずの登場人物がまるで緊張感なく眠りこけていたり、寝ていない者は明らかに衰弱して目の下に隈ができているなど、細かいメイクや演出で充分推理可能な状態になっている。

また、犯人である伊波の行動を、原作をすべてを知った状態で観ていると、さすがに見せすぎでは?と思うほど被害者たちへの感情が漏れ出ている瞬間があり、こうした描写にも非常にリアリティがある。前作のヴァン=守須も千織について語る際にその感情を抑えきれないといった演技をしており、“人を殺すほどの動機”を語る際の人間としてこれは非常に正しい演出だろう。
こうした部分も含めて、前作と合わせて、今シリーズには人間ドラマとしての厚みが出ているのだ。

崩れゆく時の牢獄〜時計館の殺人の真犯人は誰だったのか

映像としては、やはりラストの時計館が崩れていくシークエンスは圧巻の美しさだ。壁の砂が落ち、その下の七色の硝子から日が差していく。監獄の如き地獄の時間を刻んでいた館に光が入り、本当の時間が始まることを示すかのような、ゆっくりとしかし着実な崩壊。この砂の落ちていく様も“砂時計”のそれを表しているということが、映像化されるとより理解が深まる。
古峨家と永遠のために鳴り響く鐘の音と、そのすべての音が消え去った後に画面に映し出される、破れた写真が重なった、古峨家の歪んだ家族写真……。

あくまでこれは筆者の解釈ではあるが、この家族写真によって、今作の物語は、すべて倫典の手の内だったのではないか?と考えられるのが、原作を映像化したことによる新たな発見であり、そう見せる演出を取ったことも、実写化による新たな付加価値だったのではないだろうか。
時計館は、永遠の時間を速める牢獄だった。
と同時に、永遠の死後にもその狂った時間を刻ませ続けたのは、伊波の殺意を育て、永遠を“殺した”子供たちへの復讐をさせるためでもあったのではないか。
時計塔の崩壊の日を、管理者である伊波に倫典は伝えてすらいなかった。ただ謎めいた詩を遺し、その日を待つことなく自身は死んでいった。由季弥を館から出さず、伊波を管理者として留まらせたのも、実はすべて仕組まれたことだったのでないだろうか。
その姿は、姉・永遠に伊波の娘・今日子を捧げた由季弥の無邪気な悪意と何も変わらない。倫典もまた、妻・時代と娘・永遠に彼女らを捧げたのだ。

そう考えると、伊波の最期はあまりにも哀しい。彼女を貫くのが大時計の針であることにも、運命の皮肉を感じざるを得ない。
彼女は、娘の死で時間を止めていた。止まった時間の中で、感情を殺し、狂った時間を刻み続けた。そうして今回の殺害計画のために、大時計の時を“止めた”。その彼女が、本当の時間を刻み崩れゆく時計塔で、自らが止めた時計の針によってその人生の時間を“止められる”。あまりにも残酷で、それ故にあまりにも美しいシークエンスだった。
ここで原作通り、余計な台詞を伊波に言わせなかったのも、内片監督の演出力と覚悟を感じた。本当に、役者や映像の力を信頼していなければ、こうした演出は出来ないだろう。

惜しかった点〜監督二人制による演出的な齟齬

全体的に本当に丁寧な演出が光った今作ではあったが、監督が二人制になったことで、やや甘い部分が生まれてしまったことも否めない。
勿論総責任者である内片監督がきちんと指揮は取っていたとは思うのだが、やや違和感を感じる場面はほぼすべてが山本監督演出の4〜6話に集中しており、複数監督にした弊害が出てしまった気はしている。
特に前作でオミットされた鹿谷の「今日の一本」に関しては、第二部での推理に行き詰まり誓いを破ってしまうシーンを作る意味で非常に重要だったため、今作で付け加えられた設定だったとは思うのだが、山本監督演出回の第5話にて何の断りもなく二本目に火をつけるシーンがあるため、今ひとつその設定が活きて来ない結果になってしまった。

前作はその喫煙シーンの多さもSNS上で話題になっていたが、今作第一部前半内片監督演出回では原作で喫煙者である福西の喫煙シーンもなく、前作から江南の喫煙シーンもなかっだ。
山本監督演出回では遂に江南も、福西も喫煙シーンデビューを果たしているのは、山本監督なりに前作の匂いを継承しようとしたのかと微笑ましく思いもするが、だからこそ鹿谷の喫煙設定には残念な思いがある。
また、1989年という舞台設定を考えて台詞にも古い言葉を活かし、役者陣にもその発音から叩き込むほどのこだわりがあったにも関わらず、少年時代の河原崎に対して瓜生が「俺様」という現代的な表現をする詰めの甘さもあり、それもたまたまなのか山本監督回であるのも気になってしまうところだ。

ただ勿論山本監督演出の良さもあり、事件の解決編へと向かう第一部後半は内片監督より説明台詞を残した山本監督演出でわかりやすさが増していたと思うし、ミス研の回想シーンの曖昧な記憶を表すぼんやりとした映像の質感や、誰が誰の幼い頃かすぐにわかる少年時代キャストのキャスティングやヘアメイク等も非常に良い。子供時代の役者さんたちにちゃんと面影があるのは笑ってしまうほどだ。

総括:原作者が太鼓判を押すシリーズ……全作品映像化を期待したい

前作原作は日本ミステリー史に残る傑作であり、“叙述トリックのお手本”と言って良いほど読者を気持ちよく騙してくれる傑作だ。
であるが故に、長年の間“実写化不可能”と言われ、実際に綾辻行人自身何度か企画を貰っても断り続けていた作品だとも言う。原作館シリーズにおいても、やはり処女作であるあの作品のインパクトは強く、ある種の基準値や大きな壁として存在していだ作品でもある。
前作はそれを、極めて理想的かつ、映像作品としてはギリギリの綱渡りな演出で見事に再現してみせた。キャスティング、プロモーション、配信方法……すべてに至るまで細かく計算し尽くした結果、「あの一行の衝撃」はそのまま実写作品に落とし込まれたのである。

それに比べれば、どうしても今作の分が悪くなるのは当然であり、単純に“衝撃”を求めれば前作より肩透かしを喰らう結果にはなるだろう。
ただ、前作も別段衝撃や驚きを重視して作品作りをしていたのではない。原作小説に忠実に、そのトリックや物語に真剣に向き合い、そこにある感動を忠実に現代に蘇らせようとした結果として、真っ向からあのトリックを表現する演出が出来上がったというだけの話だ。
それは原作者綾辻行人のインタビューでの発言からも窺え、それだけ原作を大切にした内片監督だからこそ、前作・今作と作品を預けられたのだと思う。

前作にも今作にも、内片監督による原作への深い理解とリスペクトが満ちており、だからこそ原作からの違いはあれど、原作者が「本当に忠実に映像化してくれた」と太鼓判を押す仕上がりになっているのだと思う。
原作付きの映像化作品において、忠実に作りつつ映像化の意味を見出すというのは実は一番難しい。
今作を観ると、
「すべてが原作通りなら映像化する意味はない」
というのはやはり映像作家側のエゴと言い訳でしかないというような気もしてくる。
原作者からすれば、大切な原作は一言一句無駄なく、すべてに込めた想いがあるだろう。それをこうした形で再現しつつ、きちんとドラマでしか見られない役者の演技や顕在化した物語で評価され得る作品を作れるというのは、並大抵のことではない。

そう言った意味でも、内片監督には是非とも今後もこの館シリーズを映像化して欲しいと思うし、実写化不可能の壁を越えて行ってほしいと思う。それはとても難しいことで、この後江南×鹿谷の登場する作品が『暗黒館の殺人』であることを知る読者としては、それをフェアにやる難しさもわかっている。
(今作のある場面の演出は、『暗黒館の殺人』製作決定!の報だと思っても良いのかとファンとしては思ってしまうところだ)

期待するだけなら“タダ”、である。
鹿谷にも探偵らしい決め台詞もできたところで、どうせなら江南のいない他の作品についても、楽しみに待ちたいところである。そうした作品でも鹿谷は江南に電話や手紙で内容を伝えていたという話もあるし、『迷路館の殺人』はきちんと作中で小説も出ている。
内片監督、まだ7作品、残ってますよ。
続報に期待しつつ、我々もまた、
「謎を解きに行こうじゃないか」。

評価/鑑賞日

⭐ 4.0 / 5.0
📅 2026/03/20(Hulu)

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