弊ブログ「午前三時の映写室」、お楽しみ頂けているでしょうか。
開設から3週間ほど経ち、現在連載中の《ティム・バートン全作品レビュー》も第1フェーズが終わりましたので、本日は普段と趣向を変えて雑記という形で、映画に関する思い出話を語ってみようと思います。
ところで皆さん、映画は“字幕派”ですか?
それとも“吹替派”ですか??
個人的にはこの論争自体には不毛さを感じてしまいますし、マウント合戦になりがちなのであまり好きではないのですが(笑)、それぞれの表現法の違いはなかなか興味深いものです。
『アニー』(1982)という映画の中で「ボリシェヴィキ」という言葉が出てきます。
1900年代初め、ロシア社会民主労働党が分裂した際にレーニンが率いた左派で、後のソ連成立後にはソビエト連邦共産党となります。
この「ボリシェヴィキ」を、確か吹替版では「怠け者」と訳していたのですね。
字幕版ではそのまま「ボリシェヴィキ」だった気がするのですけど、そうした文化的背景、時代的背景による表現や、思想というものが訳した人の意志で入ってくるので、それを感じる意味でも色々な選択肢があると映画を観る楽しさが増えるのではないかと思います。
現在では、サブスクでもソフトメディアでも、字幕・吹替の切り替えは容易です。
Disney+やNetflixは再生中にも切り替えられますし、prime videoやHuluも両方用意してある作品がほとんどです。
ただ、昔はこれがなかなか大変でした。
それこそメディアがビデオテープだった頃……。
ミッドナイトシネマ宮崎、1988年生まれの昭和二桁ガチジジイなわけですが(笑)
ビデオテープ全盛期の生まれです。DVDは中学生・高校生くらいで一般化したんじゃないかな。
所謂レンタルショップというものも、TSUTAYAさんやGEOさんといった大手チェーンが
(もはやその“大手チェーン”がレンタルをやっていないという事実には震えますね)
台頭する前、幼少期はまだまだ個人店が一つの街に2〜3軒ありました。
ビデオテープには字幕・吹替の切り替え機能というものがないんですね。
チャプターや頭出し機能もない。一周観終わったら巻き戻しをして最初に戻してから返却する、というルールもありました。
当時はそれが当たり前でしたが、今の時代からするとかなり不便だったと思います。
そんなわけなので、レンタルする際も“字幕版”か“吹替版”か、いずれかを選んで借りなければなりません。
これが意外と大変なのです。選択肢がないんですよ、物理的に。
間違って借りてきてしまったら派閥関係なくそれを観るしかない。しかも、ビデオのパッケージの端の方に小さく書いてあるだけですしね。
時に中身が間違っていて字幕を借りたはずが吹替が入っていた、なんてこともあるわけです。
当時はしかも、ソフト化されてレンタルされるまでのタームが今よりずっと長かった。
所謂“ビデオソフト黎明期”はそれが早すぎて、劇場公開と同時にビデオソフトが店頭に並んだり、ということもあったそうで……結果海賊版が出回ったりという問題が起こってしまい、一定の期間を設けるようになったという話ですけどね。
あの頃は半年〜1年は待たないとレンタルショップに新作は並んでなかったと思います。
現在はその点ではかなり速いですよね、ソフト化も、サブスク配信も。
“字幕派”“吹替派”論争も、当然今よりもっと苛烈な時代でした。
切り替えができない時代はそれを観るしかないですし、チェーン展開されるお店が出来るまでは、レンタルの料金も決して安いものではなかった。
そんな中で、やはり子供のいる家庭は大変だったと思います。
大人は字幕で観たくとも、子供には難しいものもあります。そうするとどうしても吹替を借りて来ざるを得ない。
宮崎の実家は両親共に映画が好きだったので、レンタルショップにはかなりお世話になっていたのですよね。特に父は毎週何本も借りてきては観ていましたし、映画館にもよく行く人でした。
で……我が家は基本的に、“字幕派”でした(笑)
それもまぁ割と狂信的なまでの、「吹替なんて」なんて吹替派にマウントを取るタイプの(笑)
ただ、宮崎が未就学児童だった頃や、小学生でも低学年だった頃は当然吹替を借りて来ないと一緒に観ることはできなかったわけです。
自分と同じように映画を好きになって欲しかったのでしょう。もう10年ほど前に亡くなった父とも小さい頃から一緒に沢山の映画を観ました。
一応、父の観るものと、宮崎が一緒に観るものはまた別で、子供が観るような映画は吹替版を借りてきていたわけですが……。
ここで、いくつの時か記憶はハッキリしていないのですが、それこそそのくらいの年齢です。まだ小学生にもなっていない時点で、父の観ている字幕版の映画を多分、一緒に観ていたんですよ。理解できたはずはないと思うんです。でも、それでも観て、「楽しい」という感情があったのですよ。
そのうちの一本が既にレビューを上げた『バットマン』(1989)(→考察レビューはこちらから!)でした。
あれはしかも、レンタルじゃなく我が家にあったもの。購入して置いてあったものです。
家に置くくらいだったから父も相当好きだったんでしょうね、母の趣味ではなかったと思うから、父が買ってきたものだと思います。
それを本当に、そのくらいの年齢から繰り返し観ていました。
理解よりも先にその映像に魅せられていたのか。
物語も好きだったという記憶もあるのですが、そこに至ったのがいつだったかは正直覚えていません。ただ、その字幕映画を観る原動力のようなものは覚えています。
父がね、喜んだんですよ。
「こいつ字幕で映画が観られるぞ!」って(笑)
最初はそれで褒められるのが嬉しかったんじゃないかな、字が読めるかどうかは二の次で、そうして「理解してる」と思われることが重要だった気がします。
そのうちに平仮名を覚えて、雰囲気で読み取るようになり……って流れがあったと思いますが、繰り返し観ているとなんとなく雰囲気やニュアンスを掴めるようになるものです。
そうやって、字幕で映画を観ることで言葉や漢字も覚えていった、ということもあったと思います。
だから我が家でレンタルされるのは基本的にもう早い段階から字幕ばかりでしたね。
母は吹替版をレンタルしてくれるんですが、父は字幕ばかり。
もう”読めるもの”だと思ってますからね。親バカな人だったし、「天才だこいつは!」って大騒ぎしてました。
残念ながらそこまで天才じゃなく、努力していただけなんですが(笑)
けれど間違いなく、あれは自分にとって映画を観る原動力で、キッカケだった気がします。
そのお陰で、小さな頃から、およそ子供がそうそう観ないような名作を沢山観させてもらって育ちました。その頃にだいぶ、映画を観る基盤みたいなものが出来上がったと思います。
今は別に、字幕も吹き替えも観ますけどね(笑)
こうして今じゃ映画レビューブログなんてやっていますが、そのキッカケは間違いなくわが家にあった『バットマン』(1989)(字幕版)だったわけです。
そして、それを観て父に褒められたこと。
実に単純なお話ですが、それが今の生活にこうして繋がっているのだから、わからないものです。
親父が今生きてたら、このブログを読んでなんて言ったかなぁ……。
午前三時の映写室管理人
ミッドナイトシネマ宮崎

コメント