『ビッグ・フィッシュ』(2003)ネタバレ考察レビュー|ティム・バートンの到達点であり出発点〜ファンタジーへの大肯定

映画ビッグ・フィッシュ(2003)のネタバレ感想 ティム・バートンが父親と和解した時……トラウマ治療と創作の転換点となった傑作を深掘りレビュー

ティム・バートン全作品レビュー12

――人は愛をもって物語になり、それはどこまでも優しい現実になる

作品データ

原題:Big Fish

監督:ティム・バートン

脚本:ジョン・オーガスト

原作:ダニエル・ウォレス『ビッグフィッシュ-父と息子のものがたり』

音楽:ダニー・エルフマン

主題歌:Pearl Jam

「Man of the Hour」

撮影:フィリップ・ルースロ

上映時間:125分

出演者:

エドワード・ブルーム(回想):ユアン・マクレガー

エドワード・ブルーム:アルバート・フィニー

ウィル・ブルーム:ビリー・クラダップ

サンドラ・ブルーム(回想):アリソン・ローマン

サンドラ・ブルーム:ジェシカ・ラング

ジョセフィーン・ブルーム:マリオン・コティヤール

ジェニファー・ヒル / 魔女:ヘレナ・ボナム=カーター

ベネット医師:ロバート・ギローム

巨人カール:マシュー・マッグローリー

ダーマン:ルードン・ウェインライト3世

ミルドレッド:ミッシー・パイル

ノザー・ウィンズロー:スティーヴ・ブシェミ

エーモス・キャロウェイ団長:ダニー・デヴィート

エージェント:ディープ・ロイ

ピンキー&リンキー:アーリーン・タイ&エイダ・タイ

本レビューにはネタバレを含みます。

総文字数:10700文字

読み終わるまでの時間:約27分

目次

製作背景:原作の物語と製作陣の状況が噛み合った

ティム・バートン監督による、ダニエル・ウォレスのベストセラー小説『ビッグフィッシュ-父と息子のものがたり』を原作としたヒューマン・ファンタジー映画。

原作はイラストレーターであるウォレスが書き溜めた短編を集め、それを“父と息子”というテーマ軸でまとめたもの。脚本のジョン・オーガストは出版直後すぐにこの原作を読んで感銘を受け、今作製作のコロンビア・ピクチャーズに映画化権取得の話を持ち込んでいる。オーガストは当時、原作劇中のウィルと同様28歳であり、同じように父との確執を抱えていたと言う。原作者ウォレスに意見を求めながら数年かけてオーガストは脚本を執筆し、その間に映画化の企画も二転三転している。

当初は監督にスティーブン・スピルバーグを迎え、製作も彼の会社:ドリームワークスが担う予定だったのだが、その際の脚本リライトはオーガストの意に沿うものではなかったようだ。最終的にスピルバーグとドリームワークスは『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』(2002)の製作に取り掛かるために企画を離れ、脚本はそれ以前の形に戻されている。

(根本的なところのテーマが似た作品でもあるので、スピルバーグの当時の創作性自体は近いものがあったのだろう)

その後、『リトル・ダンサー』(2000)や『めぐりあう時間たち』(2002)のスティーブン・ダルドリーにも声が掛かったが実現はせず、最終的に、脚本はバートンの手に委ねられることになる。

今作のテーマや原作の作風を考えれば、むしろ前任二人の方が完成した作品のイメージはしやすく、そのまま企画が進んでも間違いなく堅実な感動作に仕上がっただろう。しかし、この脚本は当時『スーパーマン リヴス』の企画倒れや、『PLANET OF THE APES/猿の惑星』の製作過程のトラブルで疲弊したバートンの心を強く揺り動かし、同時に前作のような大作ではなく、小規模で個人的な物語を描きたいというバートンの意向にも沿っていた。それは恐らく、脚本のオーガストと同じく後述する自身の生活の変化を、この物語に重ねていたからでもあるのだろう。

そんな製作陣にとっても特別な想いのこもった作品なればこそ、この作品は英国アカデミー賞 7部門、ゴールデングローブ賞でも4部門、その他数々の賞にノミネートされるほどの評価も得た。

筆者にとっても今作は、20代を超えて観た映画の中でベストムービーを選ぶ際、必ず入ってくるであろう特別な作品だ。ティム・バートンのフィルモグラフィーの中で最も優しくて温かな、バートンの一つの最高到達地点と言って良い傑作である。

バートンらしくないのにバートンらしい“現実の世界”

今作はこれまでのバートンらしいファンタジーの世界ではなく、“現実を描いた物語”だ。バートン作品の多くは現実と幻想の境界をぼかし、時代や場所を曖昧に、世界にファンタジーのフィルターを掛けて表現してきた。

実在の地名が登場する『ピーウィーの大冒険』や『マーズ・アタック!』であってもそれは変わらず、現実には起こり得ないような出来事が、リアリティの理屈を超えた状況下で繰り広げられる。現実と地続きな世界に見える『ビートルジュース』や『シザーハンズ』にしても、そこにある住宅や、街の空気感は、どこか我々が今いる現実とは乖離した、不思議な世界観の中にあった。

しかし、今作の舞台はそうではない。

息子であるウィルの視点からなる現実は、観ている側にとっても馴染みのある“当たり前の世界”だ。

ウィルはジャーナリストであり、彼が書く文章も、住んでいる世界も、「事実ばかりで面白みがない」。同業で妻のジョセフィーンがいて、彼女の写真は《Newsweek》(=アメリカニューヨークに本社がある実在の週刊誌)に掲載され、それは家族にとって大きなニュースになる。ジョセフィーンは現在妊娠中で、ウィルと共に住む家もアメリカの中流〜上流の夫婦が一般的に住むような所謂“良い家”。移動は車や飛行機で、仕事に励むオフィスにも特に不思議な点はない。携帯も持っているし、家の電話が黒電話だったりもしない。彼らの住む町外れに不似合いなゴシック建築はなく、家の中には朝食やお菓子を自動で作る奇妙な装置もない。

この世界で一度死んだ犬は電流を浴びて生き返ることはないだろうし、ラスベガスに頭の大きな火星人が攻めてくることもないだろう。

自殺者があの世でケースワーカーをすることも、そんな死者に死後の世界のハンドブックが配られることもないだろうし、手が鋏で歳を取らない人ならざる存在も、そんな存在を作り出す科学者もいない。勿論、夜な夜なコウモリのコスプレをして悪党と闘う狂人も、その狂人を生み出した犯罪都市もないし、猿は喋ることも天才的な頭脳を持つこともなく、動物園に飼われたままだろう。

この物語には、いつもの、これまでのティム・バートンの世界観が入り込む余地がない。

あまりにもバートンらしくないのに、

けれど、あまりにもバートンらしい。

今作はそんな映画だ。

ティム・バートンの集大成とも言える世界演出

薄もやの晴れた明るい世界で溶け合う現実と幻想

今作での基本的な映像は、『スリーピー・ホロウ』や『バットマン』のような、薄暗い、もやがかかったような灰色の世界ではない。

これまでのバートンの作品では見たことがないほどに明るい質感の画面は、まさしくこれが現実の物語であることを示す。前作『PLANET OF THE APES/猿の惑星』もまた、これまでのバートン作品からすると、宇宙空間の撮り方や、主人公レオの観る地球からのビデオレターの映像のライティングに今作と近い明るい質感があった。撮影のフィリップ・ルースロとは前作からの付き合いで次作『チャーリーとチョコレート工場』まで関わることになるのだが、このあたりの作品を経たことで、バートンは幻想と現実の画をハッキリと撮り分けることが出来るようになったのかも知れない。

一方で、父:エドワードが語るお話の数々には、いつものバートンらしいファンタジーが入り込んでくる。

エドワードの語る“御伽噺の世界”と、ウィルのモノローグと共に語られる“現実の世界”が、交差して描写されるのがこの映画最大の特徴で、両者の画は明確に異なった質感を持ちながらも、エドワードの物語はまるで現実に寄り添うように少しずつそのファンタジーで世界に色を重ねていく。

両者の世界は断絶しているようでいて、ウィルとエドワードの心が通じるうち、それが少しずつ一つになるように、最後のビッグ・フィッシュ=大きな魚の物語へと続いていくのだ。

バートン映画の見本市〜不思議な世界と異形たち〜

エドワードの御伽噺の世界は、これまでのティム・バートンの世界観の集大成と言っても良い。この映画が吐いた嘘は、ティム・バートンが作り上げてきた“ファンタジーの見本市”そのものだ。

戦時下も含め、世界中を旅しながら物語を紡ぐエドワードの姿は、まさに『ピーウィーの大冒険』のロードムービー、

学生時代の化学展に出したピタゴラスイッチ的な装置や、セールスマン時代に売っていた《万能ハンド》には『シザーハンズ』や『バットマン』のトンデモ科学が、

アシュトン川沿いの魔女の住む家や、《スペクター》へと続く森の不気味な木々には『ビートルジュース』や『スリーピー・ホロウ』のような、不可思議でゴシックな造形が……

また旅の中でエドワードが出会う人々は、これまでの作品に登場した異形たちに重なる。

5mはあろうかという巨人のカールは街の人々に理由なく恐れられ、

スペクターで出会う詩人のウィンズローは12年間詩を完成させられず、時の止まった町に留まっている。

キャロウェイは夜になると狼に姿を変える化け物で、小さな体の弁護士と共にサーカスを仕切っており、

朝鮮戦争での潜入作戦で出会った歌手のピンキーとリンキーはシャム双生児だ。

これまでのバートンの物語で“異形”として描かれてきた存在は、いつだってバートン自身の表像だった。

バートンは、自身の幼年期の孤独を異形の存在に重ね、そこにある差別意識や、痛み、孤独を半ば自罰的に自らに重ね合わせることでその孤独を、理解すると言うよりも共に背負ってきていた。だからこそ、その作品における“無意識の差別”や社会の視線に対して、常に感度の高い、鋭い表現で哀しみを描いてきたのだろう。

また同時にそうした表現をすることを少し臆するような、自身が語りの一人称であることへの迷いを感じるような表現でもあったのかも知れない。しかし今作では、初めてそうした異形を、物語の主体の外側から描いた。そうして、エドワードという存在によって、彼らが救われる物語を描いてみせたのだ。

エドワードはどう生きたのか〜物語の内側にあった現実〜

エドワードの物語からそのファンタジーを除いて見つめてみると、その人生は決して平坦なものではない。

エドワードは町外れに住んでいた巨人カールに

「あんたがデカいんじゃなく町が小さい」と語り、「この町は高い望みを持つ僕にも小さい」と一緒に町を出ていくが、これはそんなに簡単なことだったのだろうか。町長や町の人間に讃えられ、送り出されるようなものだったのだろうか。

実際のカールは決して5mあるような大男ではなかったが、演じたマシュー・マッグローリーも巨人症を患う俳優であり、229cmの巨体であった。1940年代のアメリカにおいて、カールのような存在に対して差別がなかったはずがない。

原作において、エドワードの故郷アラバマ州アシュランドは、保守的な村人による黒人差別が横行しており、“若者が積極的に捨てるべき場所”として描かれている。

1930〜40年代、エドワードの幼少〜青年期の時代、そうした差別は非常に色濃く、大きな問題だったのではないだろうか。そんな中で、エドワードの語る物語では、自身を取り上げた医師は黒人であり、幼き日に魔女の家に行った友人の中にも黒人の少年がいる。

恐らくそこが既にエドワードの優しい御伽噺で、だからこそ現代を生きるウィルはその物語を「父の生涯を語る時困るのは事実と作り話の区別がないこと」と語っているのだ。

エドワードは社会においてどんな異形の存在であっても受け入れ、共に生きてきた。最初はエドワードを疑う異形たちも、次第にエドワードを「友」と呼ぶようになる。

スペクターは時を忘れた町として描写され、初めてエドワードが訪れた際にはそこで靴を捨てることで人々がそこに留まる描写がされる。時間の止まった楽園。……恐らくそれは、時代に取り残された町の暗喩でもあるのだろう。

だからこそ、再び訪れた時町はボロボロになり、住人たちも散り散りになりかけている。そんな町を復活させるのに、エドワードの仲間たちが投資したのは何故だったのか。エドワードの言葉は時に口八丁で、デタラメな、詐欺に近い言葉だったのかも知れない。しかしそれはいつだって、誰かを気遣い、誰かを愛したが故の言葉で、そんな言葉に、この物語の異形たちは居場所を見つけたのだろう。

「この世で悪人と言われる人間は、結局は孤独で礼儀知らずなだけ」

エドワードはそうやって、愛する人たちを受け入れてきた人だ。

物語を語る意味……一番大切な人へ語る優しい御伽噺

かつてのウィルは、父・エドワードの“作り話”を楽しく聞いていた。「今日はどんな話が聞きたい?」と言うエドワードにリクエストをし、布団の中でその物語に胸躍らせていた時代が確かにあった。

ウィルがそれを楽しめなくなったのは、単純に彼が大人になったから、というだけではなかったのだろう。ウィルは死に瀕した父に「本当の父さんを見せて、善人でも悪人でも良いから」と語る。氷山の話にもあったように、ある日ウィルは、自分があまりにも父を知らないことに恐怖を感じたのではないだろうか。

ウィルが知りたかったのは、父が本当に“外の世界を持っていたのか”だったのだろう。浮気をしていたのか、外に生活があったのか……自分は本当に、愛されているのか。ウィルにとって父の物語は、そうした生活を隠すためのものに聞こえていたのだろう。

しかし、それはまったくの誤解であることが、父の物語を追ううちにわかってくるのが、今作の親子の物語の分岐点だ。エドワードの語る物語は、父親が子供に話す物語。父親が、世界で一番大切な息子に聞かせる物語だ。

だから、物語のすべてはハッピーエンドであるべきだし、エドワードの人生はそんなハッピーエンドを作るために、たくさんの人を巻き込んできたものだ。

その昔話は、『シザーハンズ』のラストでキムが孫に語ったような、哀しい思い出にはなり得ない。苦しくも楽しかった人生の、幸せだった瞬間と、大切な友人達との、一番聞かせたい物語だけが選ばれている。

水疱瘡で苦しむ息子に父が告げる“3年ベッドにいた”お話は、息子の痛みを和らげる魔法で、とびきりの愛情だ。

大病で死に瀕し、薬で喉が渇いているのを子供の頃からの話にし、自身を“大きな魚”に例えるのは、大切な人に心配をかけたくないから。

死期を語る夢のカラスの物語は、母親の不貞で生まれた自分と、家族の悲しい話を面白おかしく語るためだ。

同様に、戦争から逃げ、戦死を偽り慰問婦の二人と逃げ出した物語も、そうして帰ってきても書類上死者であるためになかなか仕事が決まらなかったことも、《オイル・ショック》の時代の銀行倒産の時代の暗さも、そのまま語るには生臭すぎて、痛みを伴うものばかりだったのだろう。

恐らく本当は戦争の影響でPTSDに悩まされたことも、眠れない夜を過ごしたこともあった。そのすべてを乗り越えてきたからこそ、子供に語る物語として、一番良い形を選んだのだ。

スペクターの少女:ジェニファーとの関係は、決してウィルが想像するようなものではなかった。ジェニファーは「お父さまの頭で考えるの。彼にとって女は“お母さま”と“それ以外の女”」「私は空想の世界の女。あなたは現実だった」とウィルに語る。

エドワード自身本当は、ジェニファーに対して後ろめたさも、申し訳なさもあったのではないだろうか。だからこそ、彼女は物語の“魔女”になり、スペクターの物語では「(来るのが)予定より早い」とジェニファーの父に言わせているのだろう。

少女時代のジェニファーの好意に気付き、「いつか戻るよ」の約束を守らなかった自分への後悔と贖罪が、あの物語には含まれている。ジェニファーにとってもエドワードにとっても、「一度目は早すぎて、二度目は遅すぎた」。

それでもきっと、夫を失ってあばら屋のような家に住む彼女を見捨てられず、救うことはやめられなかったのだろう。それが結果として彼女を傷つけてしまうことも、わかっていたのだ。

エドワードの物語は、いつだってそうやって作られてきた。愛する人たちの記憶を、どのように語るか。息子にとって、そのお話はどう見えるべきか。

魔女の瞳に死に際を見た話は、苦労した人生の中で、「自分の死ぬ場所はここではない」と奮起するために必要な物語だったのだろう。

物語になり得ない大切な記憶,子供からは見えない両親の歩んだ人生

そんなエドワードの人生で最も輝いていた瞬間は、やはり妻であり、ウィルの母であるサンドラと出会ったときだ。

今作の物語の中で、サンドラとウィルに関わる物語には嘘がない。その周辺の出来事にはエドワードの御伽噺が含まれているが、この二人は物語にはならないのだ。ジェニファーの言う現実。二人を愛したエドワードという一人の男で、父親が、絶対に嘘をつけない場所。

サンドラと出会ったときの、まさしく“物理的に時間の止まった”演出は恋する青年のその瞬間を、映像的な楽しさで魅せている。周囲の時間が止まり、吸い込まれるようにその人へと近づこうとするも、流れ出した時間の速さは、あっという間その一瞬を消し去ってしまう。

恐らくエドワードは、本当に三年を費やしてサンドラのことを知り、彼女の元に辿り着いたのだろう。

実は、原作本においてはジェニファーと実際に関係があったことが語られているのだが、この映画においてその設定は省かれている。エドワードはサンドラだけを愛し、だからこそジェニファーの物語には大きな嘘が交じる。

劇中、ウィルのいないところでサンドラと風呂の中で抱き合うシーンは非常に印象的だ。ウィルには、本当の意味では理解できていなかった、両親の関係。

子供の立場で見える両親の関係など、ほんの一端でしかないのだろう。事実、エドワードとサンドラの結婚の背景も、ウィルは知らず、その物語はジョセフィーンがエドワードから聞いたものだ。

5つの州の花屋から取り寄せた水仙でいっぱいの花畑でのプロポーズも、戦死したと思っていたエドワードが帰宅した際の話も。子供に話す物語ではなかっただろうし、成長したウィルはその物語に聞く耳も持っていなかっただろう。

 「私は涙が乾きそうにないわ」と告げ、エドワードの胸に顔を埋める姿は、水仙の花に囲まれていたあの日と変わらないままで、最後の病室で「側にいないと」と帰ろうとしない姿は、あの戦時下で彼を待っていた時のままだ。ウィルにも、それが今では理解できている。だから、最後に語られる物語の中で、ずっと顔を見せなかった水の精はサンドラの顔になる。

バートンの物語としての『ビッグ・フィッシュ』

ファンタジーが救うもの/現実にあるもの

エドワードの死の間際、二人きりの病室で、ベネット医師は彼の知る真実の物語をウィルに話す。虚飾を外した物語……ウィルが生まれた日の物語には、何度も聞いた結婚指輪を飲み込んだ大きな魚なんて出てこない。ただ、出産に間に合わなかった父と、まだ出産に男が立ち会うのが一般的でなかった時代の記録があるだけだ。

「つまらん話だろう?」

でも、ウィルは「先生の話もいい」と語る。

これは、この物語の核だ。

ここではもう、ウィルは虚飾と現実とを区別していない。どちらにしても、それは自分が父に愛されていたことを表す優しい物語で、事実と作り話に区別がつかないことなどもうどうだって良いことだ。ウィルが生まれた日の物語はどちらにせよ、息子が生まれた喜びに溢れた物語で、そこに母との結婚指輪が登場することが、彼らが確かに愛されていたことの証明なのだから。

それはきっと、バートン自身の創作もそうなのだろう。これまで長きに渡り、ファンタジーを通して、異形を描くことで、自身の痛みと向き合ってきたバートンは、常にどこか現実を冷たいものと断定し、その視線から目を逸らしてきた。人を信じず、愛を信じず、その物語は、登場人物たちはいつも孤独で、救われることがなかった。

それはバートンのこれまでの人生の中での、両親との記憶に起因するものだ。

今作の製作前、バートンは長らく不和を抱えていた父を亡くしている。2000年8月、前立腺がんを患っていた父が亡くなったとき、バートンは自分でも思いもよらない衝撃を受けたのだと言う。元スポーツ選手で社交的な実父と、内向的で、ホラー映画を好み、自身で8mmフィルムで映画を撮ることが好きだった内向的なバートン。バートンは自分の両親を「人間だとまるで見なしていなかった」と語り、12〜16歳の頃は祖母の家で暮らしていたほどだったとか。

自罰的な孤独と両親との関係〜バートンのトラウマの根源

バートンの孤独がどこか自罰的な表現になるのはまさにそれが根本にあるのだろう。バートンの父は誰にも好かれる人で、まさにエドワードのように人に囲まれる側の人であり、そんな父と合わない自分こそが、世界からすれば異端の側だとバートンは考えていたのではないか。

「よく知り合ってる赤の他人」ウィルはエドワードをそう評したが、バートンにとっても父の存在や生き方はそう見えていたのだと思う。妻であるジョセフィーンも、周りの人間も、皆がエドワードの話を楽しそうに聞く中で、一人だけそれを否定するウィル。バートンはそこに自分を重ねていたのだ。

しかしバートンには幼い頃、そんな実父が義歯で狼男の真似をしてバートンを楽しませていた記憶もあった。ホラー映画に傾倒したバートンの原体験、今のバートンの創作の雛形には、そんな父との記憶が確かにあったことを、憶えているのだそうだ。

エドワードとサンドラの家……ウィルの実家は息子の写真だらけだ。その結婚式で、息子が生まれた日の話をする父親が、息子を愛してないと言えるだろうか。

バートンは2002年3月には実母も亡くしており、その直前にヘレナ・ボナム=カーターと家を訪ねた際に、バートンは今まで撮ってきた映画のポスターが母の家に所狭しと飾られているのを目の当たりにしたのだと言う。両親共にギクシャクとした関係であり、そこに幼い頃からトラウマに近い感情を抱いていたバートンではあったが、こうした出来事の重なりと、そしてボナム=カーターの妊娠により自身が父親となる日が近づく中での撮影が、バートンの中の何かを変えたのだと考えるのは考えすぎではないだろうと思う。

両親との関係に誤解があったのか、そうでなかったのか。それを聞くことは出来なかっただろうし、幼い頃に感じた感情そのものは本物だっだろう。しかしその事実より、自分自身も親となり、変化していく中で、“誤解であった可能性”を信じようとした、その記録が今作には描かれているのではないだろうか。

父は永遠の物語になった

最後にエドワードは、これまで一度も語らなかった、自分の死の間際の物語を、息子であるウィルに語らせる。自分には、見えない死を、今目の前で見ている息子に語らせることが、互いの、親子の最後の会話だ。

今まで父の話を嘘だと断じて、現実だけを見てきた息子が、父の“信じられないような死の話”を語りながら、その物語は、イキイキと色づいていく。

これまでの物語で語られた異形たちが川辺に集い、エドワードは、“大きな魚”になる。

Fish story(=尾ひれのついたホラ話の意)を語り続け、「人に釣られない奔放な夢を持つ魚」になりたいと願ったエドワードは、ついに一番愛する者の言葉で、物語そのものになった。この物語はウィルから子へ、そのまた子へと語り継がれ、もう、誰も忘れない。

このとき、現実世界で息を引き取るエドワードの病室で、繋がれたはずの心電図の音は一切入らない。現実と幻想が、ウィルの中で完全に溶け合い、一つになったのだろう。

ベネット医師との会話からここまでは、ずっと、静かに物語を眺めながら、このシークエンスは何度観ても涙が止まらない。嗚咽のような涙ではなく、静かに、噛み締めるように泣いてしまう。

エドワードの葬儀には、これまで御伽噺に出てきた沢山の登場人物が、ウィルの最後の物語の通りに参列していた。

5mある巨人も、狼に変身するサーカスの団長と小さな弁護士も、シャム双生児の双子も……

彼らは皆、物語のその通りの存在ではなかった。けれど確かにそこにいる、エドワードの大切な友人たちだった。それぞれが持つエドワードの思い出話を大きな身振り手振りで、楽しそうに語る。

これこそが、この物語とそして、バートンのこれまでの作品の答え合わせのようなものだ。

これまでの作品に登場した異形たちも皆、現実や社会に溶け込むことの出来ない、バートン自身や、それを観て共感してきた観客の映し絵だったのだから。彼らは皆、確かにそこにいるのだ。

総括:バートンが自身と自身の創作を赦すまで〜これが一つの到達点

至極個人的な話で恐縮ではあるのだが、筆者も十年前に父を亡くしている。今回、このレビューは父が亡くなってから初めての再見であり、十年以上ぶりに久しぶりに観た形になる。

筆者の父は、大言壮語を絵に描いたような人だった。父の話はいつも大袈裟で、けれどとても話が上手い人で、皆がいつもその話を聞きたがった。まるで劇中のエドワードのような人で、筆者も幼い頃から、何度そんな話を聞かされたかわからない。

その父と血の繋がりはないが、母方の祖父もまたそんな気のある人で、祖父は更にエドワードに近かったかも知れない。祖父は台湾からきた人で、幼少期に川で泳いでいたら河童に足を掴まれた話、なんていうのもよく聞かされたものだ。この話は祖父から直接も、母からも聞いたことがある。筆者は、そんな男たちの与太話を聞きながら育ってきた。

彼らはまさに劇中のエドワードのような人で、面白い話を、いくつもいくつもしてくれた。作り話も、誇張された話も、自慢話も、綺麗に飾り立てた話も、沢山あったのだと思う。

二人とも、自由な生き方をした人たちで、多くの人に迷惑も心配も掛けた。それでも、筆者はそんな二人の話が、そんな二人の生き方が好きだった。「大袈裟だなぁ」「また下らない話を」なんて言いながら、そんな話を聞くのが、楽しくて堪らなかった。

そんな風に面白がる筆者や、母の姿を見るのが、父にとっても祖父にとっても、きっととても幸せな時間だったのだと思う。筆者自身今でも、父や祖父の語った話を、友人知人に語ってみせる。その時にはほんの少し、自分自身の嘘も混ぜて。

御伽噺は、優しい嘘だ。

そして、その優しい嘘を人は魔法と呼ぶ。

事実だけでは、世界は面白くない。

それは、映画監督であるバートン自身がずっと描いてきたことでもあり、バートン自身も、そんな嘘に救われてきた側の人間であるはずだ。

今作でバートンは“息子としては”ウィルの立場であったが、

“創作者としては”エドワードの立場の人間だ。

今作でもまたバートンは物語の中で二つの立場と人格に分かれ、その二人を通して、世界を見、世界を描いてみせた。ある意味では今作は、バートンの見てきた世界の解剖学でもあったのだと思う。

今作を作ることで、バートンは内なる父との和解を果たしたと同時に、自分自身と自分自身の創作を、本当の意味で受容することが出来たのではないだろうか。

ファンタジーを解剖した上で、ファンタジーを肯定した今作は、バートンが自責的に自身の孤独を見つめていた長い年月から、ようやく自身のトラウマを許すことで一歩前に進めたその記録だ。

だからこそこの作品は、ここまでの、2003年までのティム・バートンの集大成であり、“傷ついた異形”であるバートンがようやく辿り着いたゴールで、新たなスタート地点なのである。

……同時に、この作品以降のバートンの描く異形が明確にこれまでと変わっていく理由もここにあるのだろう。

バートンは今作で、これまでずっと抱えてきた“自罰的な異形への共感”を、自身を許すことで失った。だから本来、バートンはこの先の作品では、異形を許し、受容し、抱きしめる側として……エドワードの立場として物語を紡ぐ必要があったのだと思う。それが、これまでのように孤独な異形として物語を語ろうとしていたのが、“自己模倣”的な表現に見えてしまうのだ。

バートンがその“傷ついた子供視点”から本当の意味で親としての視点で物語を紡ぐようになるまでには、ここからかなり長い時間が掛かり、『ミス・ペレグリンと奇妙なこどもたち』でようやくそれは描かれるのである。

評価/鑑賞日

⭐ 5.0 / 5.0
📅 2025/08/14(Netflix)

全作品のレビューがまとめて読みたい方はこちらから!

ティム・バートン全作品レビュー一覧

🩺 ティム・バートン“トラウマ治療期”考察レビュー

エド・ウッド(1994)

マーズ・アタック!(1996)

スリーピー・ホロウ(1999)

PLANET OF THE APES/猿の惑星(2001)

映画ビッグ・フィッシュ(2003)のネタバレ感想 ティム・バートンが父親と和解した時……トラウマ治療と創作の転換点となった傑作を深掘りレビュー

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