ティム・バートン全作品レビュー9
――火星人がやってきた!壊した!おっ死んだ!……後に残るはナードの楽園「よくあることさ」
作品データ
原題:Mars Attacks!
監督:ティム・バートン
脚本:ジョナサン・ジェムズ
音楽:ダニー・エルフマン
撮影:ピーター・サシツキー
上映時間:106分
出演者:
ジェームズ・デイル大統領/アート・ランド:ジャック・ニコルソン
マーシャ・デイル:グレン・クローズ
タフィ・デイル:ナタリー・ポートマン
ジェリー・ロス広報官:マーティン・ショート
デッカー将軍:ロッド・スタイガー
ケイシー将軍:ポール・ウィンフィールド
大統領護衛官ミッチ:ブライアン・ヘイリー
ドナルド・ケスラー教授:ピアース・ブロスナン
ナタリー・レイク:サラ・ジェシカ・パーカー
ジェイソン・ストーン:マイケル・J・フォックス
バーバラ・ランド:アネット・ベニング
バイロン・ウィリアムス:ジム・ブラウン
ルイーズ・ウィリアムス:パム・グリア
ギャンブラー:ダニー・デヴィート
リッチー・ノリス:ルーカス・ハース
フローレンス・ノリス:シルヴィア・シドニー
ビリー・グレン・ノリス:ジャック・ブラック
火星ガール:リサ・マリー
トム・ジョーンズ:トム・ジョーンズ(本人)
火星人(声):フランク・ウェルカー
翻訳機(声):ロジャー・L・ジャクソン
※本レビューにはネタバレを含みます。
総文字数:8179文字
読み終わるまでの時間:約20分
製作背景:大人の道楽から生まれた“狙って作った”B級SF
ティム・バートン史上最大の問題作にして、2025年現在ではある種のカルト・ムービーとしての評価も高くなりつつある、恐らく“狙って作った”B級SF映画。
原案は1962年にアメリカのベースボール・カードの老舗:トップス社から発売された、風船ガムのおまけトレーディングカード『マーズ・アタック』。バートンが今作の脚本家であり友人のジョナサン・ジェムズから、誕生日プレゼントとしてその復刻版カードBOXを貰ったことで企画が始まった。元々のカード自体がそのデザインのグロテスクさや子供向けにしてはアダルトな内容により、発売当時PTA団体からの非難を受けて製造停止になったもの。それを下敷きに、ジェムズとバートンとで地面に撒いたカードをめくりながら脚本の内容をまとめていったと言う。
ちなみに、ジェムズがプレゼントしたカードには他に同種の『ダイナソー・アタック』もあり、当初はこちらを映画化する話もあったそうだが……ダイナソー(=恐竜)と言えば『ジュラシック・パーク』(1993)。二番煎じにしかならないことに気づいて断念したそうだ。大正解。
元のカードはコレクターアイテムとなり、一部のカードには3500$程度の値段までついたレア物。そんなものを(復刻版とは言え)大の大人がプレゼントし合って喜んだかと思えば、挙句それを映画化してしまおうと言うのだから何ともセレブリティなオタク遊びである。
まさに道楽の極みのように撮られた今作は公開当時は「バートン史上最低映画」とまで言われ3週間程度で打ち切られてもいる。
(本国よりも他国での人気が凄まじく最終興収としては『エド・ウッド』より上)
しかし、このバカバカしくも悪趣味な映画に込められたバートンの創作性は、フィルモグラフィーの中で見ると非常に意義深く、実は見所たっぷりのポップ・ムービーなのである。
CG×ストップモーションの魂→ミドリ人のキモさ
『スター・ウォーズ』仕込みのキモキモミドリ人
まずはこの映画が
『エド・ウッド』の次作であり、更にその間には(一応)製作に関わった『バットマン フォーエバー』があることを忘れてはいけない。その前提条件があると、この映画の持つ“奇妙さ”が単なるカルトで終わらないこともわかってくる。
今作の中心となる火星人《ミドリ人》はCGアニメで表現されているが、まずはその動きが変にカクカクしていて妙にキモい。こいつらの場合気持ち悪いと言うより“キモい”という言い方が適切だ。脳みそ剥き出しでギョロ目のデザインがそもそもキモいが、これは元のカードゲームそのまま。バートンは『ピーウィーの大冒険』の《大女(ラーズ)マーズ》や『ビートルジュース』でもこうしたギョロ目の怪物を描いているが、やはりどこか影響を受けていたのだろうか。
元々企画段階ではストップモーションアニメで表現するつもりで『ナイトメアー・ビフォア・クリスマス』の監督ヘンリー・セリックに依頼したが、『ジャイアント・ピーチ』(1996)の撮影に取り掛かっていたセリックはこちらに関わることができなかった。その後セリックの紹介でバリー・パーヴスの参加も検討されたのだが、結果として製作期間の大幅な短縮を求めた配給のワーナー側の要請により、CGアニメでの表現に落ち着いた。
バートンとしてはレイ・ハリーハウゼンへのリスペクトを込めた特撮映像を求めていたため、CGでその再現が出来るかは半信半疑であったそうだが、出来上がりはその不恰好な動きがキモいデザインにうまくハマっている。
製作は『スター・ウォーズ』シリーズのルーカスフィルムの子会社ILM。ミドリ人を作り上げたジム・ミッチェルはその周辺作品では恐竜や動物を作るばかりだったので、架空の火星人の製作にはノリノリだったとも言われている。
……製作陣は割とみんな疲れていたのかも知れない。
ただ、ここでストップモーション的CGのデザインという視野を手に入れたことで、後の『ミス・ペレグリンと奇妙なこどもたち』でもそれを活用することも出来たのだから、バートンの創作性の進化にはあのキモい宇宙人たちも一役買っているのである。
悪夢のような赤パンミドリ人と映画オマージュ
宇宙船でミドリ人が赤ブリーフ姿でくつろぐ姿なんて高熱に浮かされて見る悪夢よりタチが悪いし、終盤地球に攻め込むために宇宙服に着替えるシークエンスで、マシンの順番待ちをしてちょこんと並びに立っている姿もキモい。『ビートルジュース』も悪趣味ポップ・ムービーだったが、今作は更に嘘みたいな量の悪趣味エッセンスが振り掛けられている。
中盤で登場するリサ・マリー演じる火星ガールも同じように奇妙な動きをしており、人力であのCGのようなカクカク動きが出来てしまうところがまた怖い……メイクと表情が無機質感なところもまた絶妙にホラーだ。その頭を剥いでミドリ人が出てくるあたりには、『トータル・リコール』(1990)へのオマージュも感じる。
終盤ミドリ人たちは『ゴジラvsビオランテ』(1989)を観ながら地球侵略のお勉強をしているようだし、こうした特撮映画好きのバートンらしい小ネタもちらほらと入ってる……『ピーウィーの大冒険』では無許可だったゴジラもこの頃には許可を取って使ってしまうのだから、大人の道楽ここに極まれり、である。

安っぽいCGとサイケ映像に込められた50年代B級SFへの郷愁
映像全体のトーンにしても、バートンの作品とは思えないほどにギラギラしており、ミドリ人のカラーリングも含めて非常にサイケデリックでカラフルだ。
基本的に薄暗く燻んだ色彩感覚を持ち、モノクロ映像も好んで撮るバートンらしからぬ色彩で、それは撮影現場で「目がチカチカする」とご立腹だったと言われている『バットマン フォーエバー』にも近い。
バートン作品にもサイケな映像を求めた作品は多くあるが、『チャーリーとチョコレート工場』にしても『アリス・イン・ワンダーランド』にしても、カラフルな色彩の上にきちんとバートン印の黒色フィルターが掛かっていたが、今作にはそれがない。ある意味唯一無二であり、勿論これは意図的にやったものだろう。『バットマン フォーエバー』に対しての皮肉にすら感じる。
冒頭の「BBQの匂いか?」からの火のついた牛の大群が走り去るシークエンスがもうバカバカしくて笑えるのだが、このシーンについては配給のワーナーから動物虐待だとNGを出され、納得出来ない脚本家のジェムズはそれにずっと抗議を続けていたらしい。
元のカードにも登場するオマージュシーンではあるものの、正直別段面白いだけでそこまで重要とも思えないのだが、その抗議によってジェムズは一度この企画を下ろされている。次の脚本家には『エド・ウッド』のスコット・アレクサンダーとラリー・カラゼウスキーが招集されるも、今度はその脚本にバートンが猛反発。結果、降板から約5週間でジェムズは呼び戻され、牛は予定通り燃えた。ほんの2分程度のシーンに、アートと商業の絶妙なバランス関係が見て取れるエピソードで、『エド・ウッド』の次作でこうした事件が起こるのは面白いものだ。
……で、このシーンそんなに重要?
更に、そこから飛び去るUFOのCGもまた妙に“チャチ”い。今作はどうも全体的にCGが安っぽく、それでいてUFOの他終盤で登場するロボットなどもバートン作品にしては珍しく全てCGで表現しているので、余計にそれが浮いて見える。
公開時期を考えれば、UFOにしろロボットにしろもっとリアルなものが作れたはずだし、CGでなくともお得意のミニチュアを使う手もあっただろう。しかし、バートンは恐らく今作で、わざとそこにチープな表現を選んでいる。まるでゲームセンターに置いてある少し古いインベーダーゲームのような宇宙描写や、オープニングの人を喰ったようなフォントのタイトルロゴも選んで使っているのだろう。
1996年は同じ年に『インデペンデンス・デイ』が公開され、2年後には『アルマゲドン』があり、出演者の中には同じく2年後に《クイーン・アミダラ》になるナタリー・ポートマンまでいる。CGも映画に一般的に使われ始めた時期に、この映画の描写はいくらなんでもわざとじゃないはずがない。
恐らく今作でバートンが目指したのは、50年代のB級SFを現代に甦らせることだったのではないだろうか?前作『エド・ウッド』を撮り終えたバートンが、今度は自ら『プラン9・フロム・アウタースペース』(1959)を作ろうとしたのがこの作品なのかも知れない。
そう考えると、全体的な演出のチープさも敢えてやっているのがよく理解できるし、その割にちゃんと当時の最先端的映像技術も使っていたりと、そんなチグハグさにも説明がつく。
終盤で登場するナタリーの首と犬のポピーの体を掛け合わせた姿は、妙に雑な合成で画面から浮いているが、対するケスラー教授の首だけ姿は、その断面から血が滴っていたり変なところだけリアルだったりする。バラバラにされたケスラー教授の心臓が脈打ってたり、手足の切れ目が焦げてたりと、そのあたりのディテールの凝り方は相変わらず悪趣味だ。
《ホテル・ギャラクシー》が爆破されるシーンに関しては実際のタワーホテルの爆破解体映像を使っており、その爆破の方法にもバートンが様々な注文をつけ、単純に爆破映像を使ったのではなく、手間の掛かる工事の果てにあのシーンは出来上がっている。
解体する建物をわざわざ映画のために貸し出した挙句しなくていい工程まで踏まされた業者は一体どんな気持ちだったのだろうか……爆破シーンを見たバートンは思い通りのあの崩落っぷりに大変満足していたようだが……予算の使い所、間違えてないか?

オールスターキャスト大虐殺!人類皆平等
今作のキャスティングはまさにこの時代のオールスターというべき超豪華俳優陣が揃っているが、そのほとんどが無慈悲に、無惨にミドリ人に虐殺される。正直製作予算の大半がこのキャスティングに使われているような気すらするし、その予算があれば本当はもう少しCGのリアリティを上げることも出来ただろう。それを敢えてせず、豪華俳優を出すだけ出してまるでカメオ出演レベルの扱いで退場させていく。
製作陣だけでなく演じたキャストたちもしっかり狂っていたのか、どのキャストもノリノリで演じ切っている。中でもジャック・ニコルソンはバートンにどの役をやりたいか尋ねられた際に「全部」と答えるほどだったらしく、ジェームズ・デイル大統領とアート・ランドの二役を演じ見事にどちらも悲惨な死に方をしている。『バットマン』からは5年以上経っていたはずだが、まだジョーカーの狂気が抜けていなかったのか?
ちなみに、このオールスターキャスト軽快大虐殺は『タワーリング・インフェルノ』(1974)に影響を受けているらしく、その作中でロバート・ワグナーが火だるまになって死ぬシーンをお手本にしているのだとか。今作はこうした70年代パニック・ムービーの群像劇感も参考にしており、人種国籍問わず様々な役者が、様々な死に方を見せてくれる。
『バットマン リターンズ』でペンギンが言った通り、死の前ではすべてが平等、火星人からしたら地球人なんて皆同じなのである。
崩壊した文明に残るはナードの楽園〜異形たちのアンチ・アメリカン・ストーリー
権威や強者へのアンチテーゼ……金と地位で命が守れるか!
物語も度々“中身がない”と評されるが、その実かなりパンクで反骨的な社会風刺のメッセージが込められており、同時にここでもやはり中心にいるのは、社会から外れた者たち……バートンの世界で言う“異形たち”である。
今作で最終的に生き残るのは社会的に弱い側にいた人物ばかりだ。
兄と比較され、家族から何の役にも立たないと見下されていたリッチー,
いつもどこか冷めた表情、両親との関係も悪いタフィ,
認知症で施設に入り、最終的に家族から切り捨てられたフローレンス,
ボクサーを引退し、カジノで薄給で働かされながら、離婚した家族に養育費を送るバイロン……彼らは皆社会から疎まれ、社会を疎み、他人とうまく関係を構築できない者たちだった。
学校をサボりがちで、ゲームばかりしていたバイロンの息子のセドリックとネビルも、むしろそのゲームの技術があってこそ、ミドリ人の光線銃を奪って大統領を逃すという活躍まで見せる。こんなところにも、子供のまま大人になったようなバートンの、大人への皮肉が込められている。
逆に、被害に遭うのは富裕層や社会的強者ばかり……それを、俳優としてもスター級の、主演クラスばかりが演じている。
前述した『インデペンデンス・デイ』が王道の大作ストーリーとして、宇宙からの脅威を“強いアメリカ”が退けるのに対し、こちらではアメリカ大統領が感動的なBGMと共に演説をした直後、串刺しにされて火星の旗を突き立てられるという最悪のブラックジョークが披露される。冷戦期のアメリカの“誇りの象徴”でもある月面着陸まで貶めたこんな映画、そりゃあアメリカではウケるはずがない。
そもそもここでデイル大統領が語りかける言葉も、良いことを言っているようであくまで手を組んで支配階層になろう、という誘掛けであり、どちらかと言うとその台詞はヴィランの思想に近いのも何とも言えない。
しかもこの大統領、ホワイトハウスが襲われた際にはそこに見学に来ていた一般市民を平気で置いていくような奴なのでまったく信用できないのである。
火星人に祈りを捧げるアル中のバーバラ
不貞を働く派手好きなキャスターのナタリー
弟をイジめるリッチーの兄のビリーなど、
今までバートン映画に登場してきた“嫌なモブ”もセルフオマージュ的に、尽く酷い目に遭っていく。(バーバラは生き残れたが)
ナタリーに関してはまるで本作のヒロインかの如く名(迷)シーン、素敵なラブシーンが二回ある。
恋人であるジェイソンはミドリ人の襲来からナタリーを救おうと匍匐前進で必死に進み、お互いに手を伸ばしたタイミングで哀れ手首を残して骨になる。
ラストに墜落していくミドリ人のUFOの中では、お互い首だけになってケスラー教授とナタリーは愛を語り合い、熱いキスを交わす。
ジェイソン演じるは『バック・トゥ・ザ・フューチャー』シリーズのマイケル・J・フォックス
ケスラー教授は5代目ジェームズ・ボンドとして『007 ゴールデンアイ』(1995)に出演したばかりのピアース・ブロスナンでナタリーは凄まじい二股である。
……二人とも仕事を選んでくれ。
宇宙から見たら地球人の主義思想なんてどうでもイイ!LOVE❤️&PEACE✌️
その他にも、戦争を望むデッカー将軍は小さくされて踏み潰されたり、頼みの綱の核ミサイルはミドリ人のおやつにされて飲み込まれてしまうし、逆に穏健派のケイシー将軍は地球に降り立ったミドリ人の(人間としては)最初の被害者にされてしまう。
このミドリ人の虐殺が始まる合図がヒッピー風の男が放った“平和の象徴=鳩”だったりと、保守派もリベラルも関係なくとことん殺し尽くすミドリ人はそういった主義主張すら嘲笑うかのようで、アメリカという国家の“戦争への向き合い方”そのものまで小馬鹿にして、悪趣味ジョークに変えてしまうのだから性格が悪い。
これまで『シザーハンズ』などでも差別やそれを生む“善意に見せかけた悪意”について描いてきたが、そうした主義思想への疑問を更に軽快に笑い飛ばすようなブラック表現として煮詰めている。
終盤ではサウスダゴタのラシュモア山, ロンドンのビッグベン,インドのタージマハル寺院などをミドリ人のUFOは次々と破壊し、モアイ像でボーリングをしたり記念撮影をしたりとやりたい放題。
とにかくアメリカや世界の権威・象徴を徹底して破壊し尽くし、各国の大統領も次々に殺されていく。アメリカの映画でここまで政治家や政権が“馬鹿っぽく”描かれることはなかなかない。この規模の大作で、敵が地球外ともなると、それはもうアメリカを中心に世界一丸となって闘うのが基本なのだが、そんなこと知ったこっちゃないとばかりにミドリ人たちは暴れ回っていくのだ。
前述の『インデペンデンス・デイ』とはまるで真逆のアプローチで、これが同じ年の近い時期に公開されているというのも面白いし、この捻くれ具合こそがバートンの意匠で、世の中の見方なのだとも思う。地球人相手に対して、知性への尊重だとか脅威に感じてるとかもなく、特に作戦とかもなく虫でも殺すみたいに好き勝手殺しているのが痛快ですらある。
そんな風に右派も左派もなく、世界を嘲笑うかのように滅茶苦茶に破壊しておきながら、最終的な結論は「音楽は世界を救う」。
何故かミドリ人はスリム・ウィットマンの「インディアン・ラブ・コール」を聴くと頭が破裂してしまうということで、これを流して映画は力技で解決してしまう。地球は救われる。鳩を飛ばしたヒッピーたちは恐らくあの場で殺されたが音楽はちゃんと地球を救った。LOVE & PEACE!である。
更にラストはタホ湖に逃げ延びたトム・ジョーンズが動物に囲まれ、「It’s Not Unusual(よくあることさ)」を歌って締める。なんだろう……この“サイアク・ノアの方舟END”は……。
破茶滅茶ストーリーに隠されたバートンの自戒的表現
しかし、こんなに皮肉と嘲笑に満ちたブラック・コメディ的なエンディングが、バートンのフィルモグラフィーの流れで見るとまた別の側面も映し出していることに気づく。
確かに今作は悪趣味なカードゲームを下敷きに、バートンがエド・ウッド的映画作りの再評価を狙った作品ではあるだろう。しかし同時に、『エド・ウッド』から『ビッグ・フィッシュ』へと続くこの時期の一連の作品群はバートンにとって“トラウマの治療記録”のようなもので、今作にもそんな側面がしっかりと刻み込まれているのだ。
実はバートンは今作の前には、本来ヴァレリー・マーティンの小説『メアリー・ライリー/ジーキル&ハイドの恋』を原作とした映画『ジキル&ハイド』(1996)を監督するはずであった。ところが、バートンは『エド・ウッド』の撮影中にプロデューサーと揉めてこの仕事を降板、監督はスティーヴン・フリアーズに交代となっている。(一説には『エド・ウッド』の内容変更を求められたのが原因と言われている)
更に、バートンは1997年の《キネマ旬報》3月号のインタビューにて、ミドリ人に対して「共感は出来ないが理解はできる」という旨の発言を残している。自分は周囲から理解されない存在で、「地球人より火星人との方がうまく過ごせるかも」とも言っており、そう考えると、ある意味これはバートンの自己投影的なナードな主人公たちが、同じく自己投影的なミドリ人を倒す物語でもある。これは本来撮るはずだった『ジキルとハイド』の物語にも通ずる、二重人格的なメタファーでもあるのではないだろうか。
バートンはこれまでの作品でも、自身の孤独の表像である異形たちにどこか自罰的な要素を描いてきていた。
『バットマン』『バットマン リターンズ』のヴィランたちにせよ、『シザーハンズ』のエドワードにせよ、他者に受け入れられないことに対して、自身が周囲を傷つけるからである、という目線が常にあったように思う。
ある意味、今作ではその要素をミドリ人と生き残った登場人物たちとに分け、自身の中の“悪”を退治したと見ることもできるのだ。
総括:意識的か無意識か?バートントラウマ治療の第一歩となった火星人退治
根本的には、本当に悪趣味でおかしな映画だとは思う。しかし、これは『バッマン リターンズ』でダーク・ゴシックの巨匠として“異形の物語”をやり切ったバートンが到達した、もう一つのゴールであり、幼少期から抱えたトラウマの一つ一つを治療する過程の始まりでもある。
“異形たちの楽園”を創るために、
地球外生命体という異形が、通俗的な強者や常識を破壊し尽くし、暴れ回った作品。
バートンの中の異形の自罰的な闇を一度切り離し、自身の存在をきちんと認めるために必要な作品だったのではないかと思うのだ。
今作でバートンは自身の中の異形と徹底的に向き合って対話し、
次作『スリーピー・ホロウ』で孤独の先……誰かと歩む世界を肯定し、
『PLANET OF THE APES/猿の惑星』で回り道し(←)
『ビッグ・フィッシュ』で遂にトラウマの根源となっていた自身の中の父親と和解することになる。
そうした意味で、今作がこの位置にあるのは非常に意味があるし、バートンが“赦し”を自身に与えるキッカケとなった作品でもあるのかも知れない。
これは単なるカルト映画と切り捨てることは出来ない……なんて思ったものの、そんなことをあんまり考えていると頭が破裂しそうであるので、適当に笑いながら観ているのが一番良いんだろうなぁ(笑)
⭐ 3.5 / 5.0
📅 2025/08/06(Hulu)
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🩺 ティム・バートン“トラウマ治療期”考察レビュー



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