『フランケンウィニー』(1984)考察レビュー|ティム・バートン初監督作品!ディズニーに封印された30分のモノクロ映像に刻まれた魂の原典

映画フランケンウィニー(1984)のネタバレ感想 ティム・バートンのディズニー在籍時のデビュー作

ティム・バートン全作品レビュー1

――30分のモノクロ映像に込められた、ティム・バートンの魂の原典

作品データ

原題:Frankenweenie

原案・監督:ティム・バートン

脚本:レニー・リップス

音楽:デヴィッド・ニューマン

マイケル・コンヴェルティーノ

撮影:トーマス・E・アッカーマン

上映時間:27分

出演者:

ヴィクター・フランケンシュタイン:バレット・オリバー

スーザン・フランケンシュタイン:シェリー・デュヴァル

ベン・フランケンシュタイン:ダニエル・スターン

チェンバース氏:ジョゼフ・メイハー

アン・チェンバース:ソフィア・コッポラ(ドミノ)

スパーキー:彼自身

本レビューにはネタバレを含みます。

該当作品の他、『フランケンシュタイン』(1930)への言及も有。

総文字数:3585文字

読み終わるまでの時間:約9分

目次

製作背景:ディズニーによって封印された幻の併映作

ティム・バートン監督による実写映画監督デビュー作にして、長らくディズニーでお蔵入りにされていた隠れた名作。

当時まだディズニーのアニメーターの一人であったバートンがいくつかのイラストと感情のスケッチを作り、それを原案に物語化したものを実写作品として組み上げた。この2年ほど前に4分の超短編である『ヴィンセント』をストップモーション・アニメーションで製作し、《ディズニー・チャンネル》内で実写ドラマ『ヘンゼルとグレーテル』の監督もしていたが、25歳の若手アニメーターに100万$の低予算、30分尺とは言え実写映画の監督を任せるほどなので、ディズニーもこの若き奇才の才能は相当に買っていたのではないだろうか。
しかも、今作は予定通り公開されていたならディズニーの代表作『ピノキオ』(1940)のリバイバル上映の併映作品になるはずだったということで、その期待度はかなり高かったことが伺える。

結果として、ディズニー上層部からは「犬が死ぬのは子供向けとしては暗すぎる」との不評を買い、PG指定も受けてしまったことで全年齢対象の『ピノキオ』と併映されることもなくなった。バートン自身にも深い失望を与えた今作は、お蔵入りという形で長い間封印されてしまうことになる。後年、日本ではバートンの評価が固まりつつあった頃に『ナイトメアー・ビフォア・クリスマス』(→『ナイトメアー・ビフォア・クリスマス』考察レビュー)と同時上映という形で限定公開されたが、イギリスでは当時ビル・L・ノートンの『恐竜伝説ベイビー』(1985)と一部劇場での併映もされていた。
そんな不遇なデビュー作でありながら、製作当時から映画業界の一部関係者の間ではこの作品を創った若きクリエイターの評判は囁かれており、ディズニー退社後のバートンの仕事へと繋がっていく。その評価に違わず、この“バートンの雛形”は後のバートン作品の源流が詰まった、まさに純度100%のティム・バートン・ムービーだ。

モノクロ映像とデザイン:幼少期への郷愁と奇才の萌芽

84年に敢えてモノクロで撮られた映像には、バートンが幼い頃に観たB級ホラー映画への望郷が詰まっている。この憧れが後の『エド・ウッド』にも繋がっていることを考えると、バートンの創作の根にどれだけこの時代の作品が刻まれているのかも見えてくる。
勿論、低予算で規模の小さい製作現場で、まだまだディテールにもこだわりきれなかった時代だ。初監督作品ということで、セットや小道具、スパーキーのメイクなど細部の甘さを誤魔化す意味もあったとは思うが、やはり中盤のスパーキーが街に出る際の、ヒッチコックの『サイコ』(1960)でも有名な影で脅かす演出法や、タイトルやその物語から感じるユニバーサル版のホラー映画シリーズ『フランケンシュタイン』(1931)へのオマージュを見るに、敢えてモノクロ撮影を選んだと考えるのが自然だろう。

このモノクロ映像の中で描かれる、序盤でスパーキーが埋葬されるペット用の墓地などには、既にバートンの個性が溢れている。
家や学校、車などはリアルな描写にしつつも、墓地に関しては実写作品であるのに妙にアニメーション的な丸みを帯びたデザインになっている。これはなにも子供向け作品だから、という理由ではなく、ティム・バートン自身の作家性に拠るものだ。バートンはこの後の作品においても、こうしたデフォルメされたデザインのセットや小物類を用いることで、現実と空想の境界を曖昧に物語の世界を作り上げていく。
ここでの表現はその始まり。30分という短い時間の中にも、バートンらしい意匠が既にしっかりと刻まれているのだ。

また、冒頭のスパーキーの事故で塞ぎ込むヴィクターが窓を眺めるシークエンスでは、窓の外に哀しみの雨が降っているのかと思いきや、ホースで撒いた水であることがカットインでわかるという一幕がある。これはモノクロ映像であることを利用したちょっとした洒落で、バートンらしい遊び心でもあるのだが、同時にまだ80年代のアメリカ映画という文化に、大らかな牧歌性があった頃の面影を見るようで嬉しくなる。アメリカのポップカルチャーが何よりも花開いていた時代、深刻化し過ぎなかった頃の映画の良い意味での軽さが、作品全体に漂っている。

家族描写:バートンのトラウマ表像が現れる以前

それはヴィクターの家族、フランケンシュタイン家の三人の表現にも表れている。
後の2012年版のインタビューでバートンは『フランケンウィニー』の物語について「自分の家庭はあんな風に温かな家庭ではなかった」という旨の発言を残しているが、この時点でのバートンはまだ後の作品で顕著になる“家族の機能不全”やそれに伴うトラウマを物語に投影させていない。子供向け作品ということもあり、まだまだその作家性が発揮され切るには手探りな時期だったのかも知れない。

2012年版ではバートンの子供時代を反映したようなナードな少年になったヴィクターは、今作においてはどちらかと言えば天真爛漫な明るい少年だし、自作映画を披露するヴィクターに対して両親は完全に親バカ丸出しな褒め方をする。身体のツギハギから水漏れしてしまうスパーキーの身体を母であるスーザンが縫い付けるシーンは、やってることのおかしさとそれに似合わぬ空気感がコメディそのものだ。
復活したスパーキーに顔を舐められる際の、両親の明らかに怖がって少し引いた表情なども、その演出や演技はまさに“アメリカン・ホームドラマ”、シットコムのそれである。

2012年版との比較:POV描写と異形の描き方

比較すると、
今作1984年版はスパーキーの物語、
2012年版はヴィクターの物語なのだろう。
今作の時点では、“迫害される異形”の象徴はスパーキーに集約されている。

スパーキー視点POV(主観ショット)の演出はまさにその現れで、特に序盤の事故で轢かれるシークエンスがスパーキーの視点で描かれる演出は実に残酷だ。敢えて事故の瞬間は描かず、スパーキーの視点で車が迫るシーン、車の急ブレーキの音、そしてそれを見るヴィクターの横顔へと画面が移り変わり、叫び声と共にタイトルが入る。
この一連の演出を、当時まだ実写映像の監督経験2作目のアニメーターがやっているというのだから驚かされるものだ。ここだけでも、バートンには既に撮りたいものが溢れていたことがよく理解できるし、その才能の非凡さに目を見張る。

また、その後ヴィクターの手によって蘇ったスパーキーが、ヴィクターが寝ている間に外を走り回るシークエンスでも再びこのPOVの演出が取られ、これにより蘇った後のスパーキーとそれ以前のスパーキーが、きちんと一続きに繋がった存在であることを、観ている側にもきちんと伝わるように演出されている。

スパーキーが集まった街の人にその見た目だけで恐れられてしまう描写は、後の『シザーハンズ』への萌芽が感じられ、短く可愛らしい世界観の中にも、きちんと“異形の切なさ”が描かれているのが、今作が間違いなく、映画監督ティム・バートンが産声が上げた瞬間である証左だ。
また、この脇を固める街の人々にも、後の作品で登場するモブキャラクターに繋がる極端なキャラ付けがされており、そのアニメ的で非現実的な世界観を強固なものにしている。

総括:若き日のバートンが救いたかったもの

ラストシークエンスの風車が焼け落ちる場面は、まさに映画『フランケンシュタイン』のラストシーンのオマージュだ。この風車のサイズがまるきり子供サイズで、大人たちはなるべく近づかないようにしているのも低予算映画ならではの微笑ましさなのだけれど、ミニチュアとセットを組み合わせて撮る技法にはバートン印がしっかりと見て取れる。

本家の『フランケンシュタイン』ではここで怪物は風車と共に焼かれ、(※続編で復活するが)そのまま悪として断罪される。けれど今作ではその焼け落ちた風車の下敷きになったスパーキーは、街の人たちの手によって再び復活する。
ここに、バートンから本家への意趣返しを感じるのだ。

幼い頃のバートンは、ヴィクター・フランケンシュタインと、その愚直なまでの探究心が創り上げた怪物に、深い共感を抱いていたのではないだろうか。フランケンシュタイン博士はその憧れと情熱を神により否定され、怪物はその存在や在り方を人に否定された。『フランケンシュタイン』に限らず、ホラー映画に登場する怪物たちは、皆“普通の人々”に一方的に断罪される。世界中が彼らを悪と決めつける中でしかしバートンには、彼らの孤独や、創造への渇望が痛いほどに理解できてしまったのだと思う。
だからこそバートンは、その両方が救われる物語を、子供向けの優しい物語として描き直したかったのではないだろうか。

それをデビュー作の中で描き切ったことで、この後のバートンが描く創作の根は、深く深く張られたのだろう。同時に、このバートンの描く“異形の孤独”が、後続の創作者に与えた影響も計り知れないものがある。
だからこそこの雛形は“誰もが知るティム・バートン”であり、“みんなが観たいティム・バートン”の象徴でもあるのだ。

評価/鑑賞日

⭐ 3.5 / 5.0
📅 2025/07/22(Disney+)

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