『スリーピー・ホロウ』(1999)ネタバレ考察レビュー|ゴシックホラー×本格ミステリー ティム・バートンのトラウマからの脱却の記録

映画スリーピー・ホロウ(1999)のネタバレ感想 ティム・バートンの原点回帰!ゴシックホラーとミステリーの融合にしてバートンのトラウマ治療の第一歩

ティム・バートン全作品レビュー10

――その事件は, 彼らの過去の亡霊……首なし騎士の背後にいるのは誰?

作品データ

原題:Sleepy Hollow

監督:ティム・バートン

脚本:アンドリュー・ケヴィン・ウォーカー

原作:ワシントン・アーヴィング『スケッチ・ブック:スリーピー・ホロウの伝説」

音楽:ダニー・エルフマン

撮影:エマニュエル・ルベツキ

上映時間:105分

出演者:

イカボッド・クレーン:ジョニー・デップ

カトリーナ・ヴァン・タッセル:クリスティーナ・リッチ

マスバス:マーク・ピッカーリング

バルタス・ヴァン・タッセル:マイケル・ガンボン

ヴァン・タッセル夫人:ミランダ・リチャードソン

ブロム:キャスパー・ヴァン・ディーン

スティーンウィック牧師:ジェフリー・ジョーンズ

ジェイムズ・ハーデンブルック書記:マイケル・ガフ

キリアン:スティーヴン・ウォディントン

トーマス・ランカスター医師:イアン・マクダーミド

ピーター・ヴァン・ギャレット:マーティン・ランドー

イカボッド・クレーンの母親:リサ・マリー

首なし騎士:クリストファー・ウォーケン

首なし騎士(スタント):レイ・パーク

ニューヨーク市長:クリストファー・リー

本レビューにはネタバレを含みます。

総文字数:10709文字

読み終わるまでの時間:約27分

目次

製作背景:『スーパーマン』降板とゴシックロマンへの回帰

ティム・バートン監督、フランシス・フォード・コッポラ製作総指揮による、アメリカに古くから伝わる寓話、及びそれを基にしたワシントン・アーヴィングの短篇小説「スリーピー・ホロウの伝説」を原作とする怪奇ロマンス映画。

……とは言え、コッポラは自身の会社:アメリカン・ゾエトロープを通して多少の投資をした程度であくまで名義貸しのレベル。バートン自身も、プレス用の映画予告編を見て初めてコッポラの関与を知ったという話だ。
同じく怪奇ロマンスを愛する巨匠同士として、この二人がしっかりとタッグを組んだ作品も観てみたかったものだが、それに関しては色々と“オトナの事情”もあるのだろう。

アメリカ、NYに伝わる寓話である『スリーピー・ホロウ』を基に描かれた1820年の『スリーピー・ホロウの伝説』は、国家としての歴史が浅いアメリカにとっては数少ない自国由来の御伽噺であり、小学校の教科書にも載っているかなり馴染み深い作品だそうだ。日本で言えば『耳なし芳一』あたりのホラー作品に近いだろうか。
勿論翻案作品も今作以前に数多くあり、ディズニーの短篇アニメ『イカボード先生と首なし騎士』(1949)は、バートンをアニメーターの道へ進ませたキッカケの一つでもあると言う。

今作の映画化企画を最初に製作各所に売り込んだのは当時『ヘルレイザー4』(1996)等で監督業に転向したばかりの特殊メイクアーティスト:ケヴィン・イェーガーだったが、低予算で“5分おきに殺人事件が起こるスラッシャー映画”を想定していたイェーガー案に配給側は猛反対し、イェーガーは特殊メイクに回され、バートンが監督起用されることになる。
(『ヘルレイザー4』でも編集段階で降板させられ、監督名義はアラン・スミシーになっているのでイェーガーもなかなか不遇と言わざるを得ない)

当時バートンは『バットマン』に続くDCコミック原作映画『スーパーマン リヴズ』の撮影に入っていたが、度重なる製作の遅延と予算のカットなどによりスタジオとの関係が悪化し、一年をその計画・準備に費やした末降板していた(後述)。
その次の仕事として、自身の得意とするゴシック作品で、本格的なホラーを映画化するというのは願ってもない話だったのかも知れない。
そんな今作は興収も世間的評価も高水準に達した、フィルモグラフィーの中でも屈指の美しい作品であり、バートンのトラウマ治療の一環としても非常に大きな意味を持つ傑作の一つである。

ティム・バートン史上最も美しい“灰色の世界”

古き良きホラーとサイレント映画への郷愁

前作『マーズ・アタック!』での珍しいサイケな映像から一転、舞台は1799年、NY郊外の小さな村へ。バートンの愛する20〜50年代のホラームービー路線への原点回帰であり、現代社会を描いてきたこれまでから打って変わり、満を持しての本格的な近世ゴシックロマンの世界観を描いた。

映像は全編通して薄暗くもやが掛かっており、霧が立ち込め雷の光る闇の空気感。バートンとしては今作でもモノクロ撮影を採択したかったようだが、『エド・ウッド』の興行不振によりそれは許されなかったと言う。その代わりとして、今作のフィルム現像にはCCEプロセスという技法を用いており、それを使うことで黒色を強調し、原色と色相抑制を施すことで、あの彩度が低く、明暗を強調した独特の映像を創り上げている。『セブン』(1995) や『RONIN』(1998)などでも用いられた技法である。
この薄暗さこそが今作のゴシックな空気感を否が応にも高めており、その陰鬱な世界観とどこか御伽噺の世界のような幻想的な空気感はこれまでの作品の中でも最も美しく映る。

1999年公開の作品ということで勿論サイレント映画ではないのだが、今作を演出する際に、バートンはサイレント映画の雰囲気を出すように心掛け、キャスティングにもそうした空気感を演出できる俳優陣を起用したという。イカボットのコミカルで軽快な会話もありつつ、どこか全体に静謐で、絵画のような印象になるのはそのためだろう。

リアリティよりもダーク・ファンタジーを優先した画作り

灰色がかった世界の中で、迸る血の色だけはやけに鮮やかな紅として表現されており、この画面の中で対比としてよく映える。本来の血の色としては鮮やかすぎるのだろうが、それがより寓話的な意匠を高めてもいて、中盤に登場する《死者の木》にしろ、そのリアリティよりもゴシックロマンスを優先した映像演出にトキメキを感じる人も多いのではないだろうか。

お得意のドイツ表現主義の影響を受けた奇妙に捻じ曲がった木と、畝り絡み合う根っこ……そこに斧を入れて開けば、鮮やかな鮮血と被害者たちの生首が溢れ出す……リアルを超えたダーク・ファンタジーは、グロテスクさよりもむしろ美しささえ感じる。中盤のイカボットの母の入った拷問機から、滝のような血液と母が倒れ込んでくる回想シーンも、そこには恐怖よりも美しさがあるのだ。
日本ではPG12指定、全編で計18本の首が飛ばされる今作だが、1999年のアカデミー撮影賞にもノミネートしており(残念ながら受賞は逃している)その血の彩色や全体的な色彩感覚には相当なこだわりを持っていたことが窺える。

また、衣装にせよ村にある家にせよ、時代考証を厳密にするならば、本来の《スリーピー・ホロウ》(=NY州に実在する町)のあるあたりに当時住んでいた人々はオランダ系移民であり、その形式を守るべきなのだろうが、あくまで御伽噺として演出するためにそこに様々な様式を合わせている。家屋にはイギリスのテューダー朝時代の半木造建築のかやぶき屋根を採用し、衣装もより美しく、特にヒロイン:カトリーナのドレスはまさに清廉を表すかのようで、カトリーナという存在の、少女と大人、夢と現実の狭間にいるような不思議な存在感を引き立ててくれる。

同じように、イカボットが使うスチームパンク的なデザインの捜査道具にしても、彼自身が革新的な異端者であるということを考慮しても時代的には先取りすぎた品々であることは間違いないだろう。
こういった点がまさにバートンらしい意匠であり、時代を超越した“なんちゃってSF”……ファンタジー世界でのSF的表現。かつて日本の漫画家である藤子・F・不二雄先生が提唱した“S(少し)F(不思議)”な世界観である。公開年のアカデミー美術賞にノミネートし、こちらは見事受賞もしている。

バートンの代弁者:ジョニー・デップの演じた“家族のトラウマ”

バートン自身の表像としての異形……時代にそぐわぬ科学捜査官として

今作の主人公であるイカボット・クレーンは、原作で言うならアメリカの誰もが知る物語の主人公だ。しかし、相手はあのバットマンすら自分の色に塗り替えたティム・バートン。そして演じるは、これまでの作品でバートンの表像をその役柄に投影してきた“バートンの代弁人”とも言うべきジョニー・デップ。
今回のイカボットもまた、原作での教師という設定からNY市警の捜査官に変更され、その設定には周囲と馴染めない異端……バートンの描く“異形”としてのキャラクター設定がされている。

時は近世。まだ刑事事件の裁判は、犯人への強要に近い自供によって成立していた時代だ。魔法や迷信が信じられ、魔女狩りという名目で人々が蹂躙されていた時代……捜査など名ばかりに死体の解剖も認められず、取り調べは拷問に近い形で行われた。そんな中で魔法や聖書よりも科学を重んじ、捜査にもそれを取り入れるべきと主張するイカボットは、まさしくティム・バートンその人と言える。
ボサボサ頭に青白い顔、特異な才能や思考を持ちながら、他者にはそれを受け入れられずに僻地であるスリーピー・ホロウへと飛ばされる。その姿に、デップは『シザーハンズ』や『エド・ウッド』の製作現場で、度々映画作りにおいてより大きな製作チームと衝突していたであろうバートンの姿を見たのではないだろうか。

都会にいても、田舎に来ても、その姿勢は誰にも受け入れられることはない。都会ではその知性故に疎まれ、田舎ではその先進性は煙たがられる。
イカボットが村に到着した際に、その姿を見て扉を締め切る村の住人たちには、『シザーハンズ』でエドワードが初めて街へ降りてきた姿がオーバーラップする。今作の物語は、全体的に『シザーハンズ』と重なる部分が多く、あれから10年近く経った中で物語を再演しているような面すらあるような気がする。

科学捜査を信条としてはいるが、血飛沫に怯え、首なし死体を直視するのも躊躇い、狼の鳴き声にすら震え上がるほど、実は幽霊や魔法というものにも人一倍恐怖心を感じている。
頭はいいが勇気はない。村に来て始めは馬もうまく乗りこなせず、中盤までは自分より遥かに歳下の子供であるマスバスを盾にしたり、蜘蛛に怯えて退治を命じ、柱に縋りつくほどに情けない男だ。

御伽話のキャラクターにつけ加えられた“父親との不仲”という影

しかし、同時に彼は被害者遺族であるマスバスが事件解決に協力したいと言えばそれを受け入れる不器用な優しさも持っており、それは今作で初めてバートンが直接的に表現した“父との不仲”という傷に端を発しているのだろう。
これまでの作品でも度々、バートンは《家族》というテーマを描いてきており、それは自分自身の幼少期の父との不仲、父の求める子であれなかった自身の異端性を異形という存在に託して表現してきたものだ。

今作ではこれまでモチーフとして扱ってきたそれを、ハッキリと“父へのトラウマ”として描写した。それはイカボットというキャラクターの根幹に関わる設定であり、勿論原作の教師:イカボットにはそのような物語的背景はない。
イカボットは幼い頃に聖書の狂信者である父親によって、愛する母が《鉄の処女》で殺されてしまうという過去を持ち、劇中では眠るたびその頃の夢に魘されている。イカボットが魔法や迷信に反して科学捜査に傾倒するのはそうした父への間接的な復讐であり、母の死を乗り越えられず、幼児性に囚われた証左でもある。

今作の全編薄暗い舞台の中で、母の記憶という夢の中だけは彩度が上がり、その母の周囲には美しい桜の花が咲いているのも暗示的だ。
その夢の中の母との場面はどこか現実感がないく、その背後にある家も作り物のような、人が入れないサイズ感で作られている。しかし、父親が母親を叱責し、連れ去るシーンからは現実的な、彩度も本編と同じく暗さを持つように変化する。これは、もはや母との実際の記憶は忘却の彼方に消え去り、心には処刑された日の母しか遺されていないということでもあるのだろう。
母が空に昇っていくような夢のシークエンスではその周囲に雪が降っており、これまでの作品、『シザーハンズ』や『バットマン リターンズ』で描かれた“別れのメタファー”としての孤独な雪もそこには感じられる。

心を開く異形たち……違いを認め合うということ

今作の物語は、イカボットが囚われていたトラウマから自由になるまでの物語であり、だからこそこの物語は科学捜査によって、迷信を解き明かす物語になる。
同時に、超常現象そのものの在り方も否定はせず、そこに科学捜査を重ねる形で事件解決を描く物語でもある。そもそもイカボットの母は夢みがちで迷信を信じる人であり、イカボットも科学に傾倒するのは父への反発という側面が強いことは、実際に魔女に協力を求めたりする姿に示唆されている。物語は単純な《迷信vs科学》ではなく、それを取り囲む人の在り方そのものを描いているのだ。

ヒロインであるカトリーナもまた、イカボットと同じように母を亡くした同じ傷を抱えた存在であり、彼らはその共通項で繋がっている。
カトリーナは村の名士である父の娘で、登場時はブロムというボーイフレンドもいるが、どこか孤独を秘め、村の中では異端の雰囲気を纏う。
父が「恋愛小説がもとで脳炎になった」と揶揄する母の遺した本をこっそりと読み耽り、捜査のために死者の木に向かうイカボットにはこっそりと馬で着いてくる。
そんなカトリーナにイカボットは出会った当初から惹かれており、劇中イカボットとの出会いのシーンになったパーティーでの目隠しゲームでキスをされた際には明らかに狼狽しており、その後母の夢を見るシークエンスでは、母がそのカトリーナの姿をトレースしてもいる。

二人を繋ぐ小道具として、イカボットの持つ《ソーマトロープ》があり、これは二枚の絵を裏表に貼り合わせて回転させることで、一枚の絵が完成すると言うものだ。
これをカトリーナは手品と呼び、イカボットは目の錯覚を利用した科学であると言う。劇中冒頭で鳥を飼っていたイカボットはスリーピー・ホロウに来る前にその鳥を放し、カトリーナは鳥は好きだが籠に入れるのは可哀想だと語っている。
お互いに、好きなものは同じでありながら見方が違う二人が、囚われた籠から自由になるまでの物語……ソーマトロープの仕組みはアニメやパラパラ漫画の原形でもあり、そんなところにもバートンの自己投影が見て取れる。

村に来て最初の被害者となったジョナサンの息子:マスバスとカトリーナ……今作でのイカボットは孤独な存在ではない。閉ざした心で手を差し伸べる周囲をどこか拒絶していたこれまでの異形たちと違い、イカボットは彼らに徐々に心を開き、共に捜査することで自らのトラウマと対峙していく。
同じ価値観を持ちながら、そこにある互いの違いに対して理解と愛情を向けること。これが、今作でバートンのトラウマ治療がまた一歩進んだと感じる点だ。

ホラーでありながら“本格ミステリー”として成立する物語

一方で今作の物語は、科学捜査官が捜査をするミステリーとしてもきちんと成立している点も見逃せない。このあたりは、脚本家であるアンドリュー・ケヴィン・ウォーカーが『セブン』(1995)の脚本も書いており、クレジットには載っていないがデヴィッド・フィンチャーの『ゲーム』(1997)や『ファイト・クラブ』(1999)にも参加した実力派であることが効いている。
事件の手掛かりはすべて伏線として示されており、すべての事件は“人間の犯人”で推理可能だ。ファンタジー/ホラー要素は一点
“凶器が首なし騎士である”というだけである。

そう見てみると、ホラーより殺害シーンの演出はどちらかと言うとミステリーのそれに近い……と言うより、古来からミステリーの演出はどこかホラーと親和性があるものなのかも知れない。
・因習村にやってくる外部の探偵役
・余所者としてそんな探偵は忌避される
・泊まる場所のメイド(女中)は口を滑らす
・犯人の動機は血筋や財産
と、要素だけを取り出すと日本のミステリー小説、横溝正史の『金田一耕助』シリーズの形式にも通じ、昔ながらのミステリーというものは古今東西問わず定型型があるということにも気付かされる。

今作がミステリーとして成立するのは、ゴシックホラーの要素がきちんとミステリーの文脈の中にあり、そのルールに則っているからだ。
通常《ノックスの十戒》や《ヴァン・ダインの二十則》で超常現象の使用が禁じられているのは、それがあることでミステリーの謎解きの快楽が失われ、“何でもあり”で犯行が説明できてしまうのを防ぐのが理由である。
(近年ではこれを逆手に取った作品も生まれているのでその限りではないが)
しかし、今作では首なし騎士という明らかな亡霊を主軸に据えながら、そのミステリー的なルールや手掛かりには一切の邪魔が入らない。

首なし騎士が被害者の首を刈る理由についても劇中できちんと説明がなされ、無差別に犯行が行われるわけではないことが明示される。
中盤でブロムが殺害されるのはイカボットの言う通り深追いしたためであり、その殺人に関しては首を持ち去らないということで事件解決の重要な手掛かりとなっている。
(ここでイカボットとカトリーナの恋のライバルであるブロムを強制退場させるのも『シザーハンズ』から繋がる意匠を感じる)

首なし騎士は、あくまで真犯人が用意した“凶器”だ。
冒頭の首なし騎士の死の場面も伏線になっており、森に住む魔女の素顔が一切映らない点や、イカボットが村を訪れた際のカップルの情事など劇中で示されるシーンはすべて無駄なく最後には一つに繋がる。

また、実際に事件が首なし騎士の犯行という超常現象であったためにイカボット自身すら忘れかけていた“首を切るのは身元を誤魔化すため”という最初期の推理が最終段階において効いてくるのも、犯人について一度は誤った推理をするところもミステリーらしい脚本で、このあたりはさすがのウォーカーの物語の組み立てである。

誤解のその先へ〜信じたからこそ事件は解けた

今作ではカトリーナが描いた《悪魔の目の魔法陣》がイカボットのベッドの下にあったり、終盤の教会で最後の被害者たちが死んでいくシークエンスでもカトリーナがそれを描いていたことから、黒幕はカトリーナであったことをイカボットが誤解する。
ここでは『バットマン リターンズ』において描かれた“例え異形同士であっても相互理解には至らない”というバッドエンドを予感させ、これまでのバートン作品ならここで終わっていただろうし、事件を解けたとしてカトリーナを救うのにイカボットは間に合わなかったのではないかと思う。

しかし、今作ではイカボットは彼女の魔法陣の真の意味が《愛する者を悪霊から守る術》であることに、彼女から貰った本によって気づくことが出来、それにより真犯人の正体に辿り着くこともできた。事件が表向き解決し、捜査資料をすべて燃やしながらも、彼女から貰った本だけは捨てられなかった、それが誤解を解き、事件の真犯人に気づくキッカケを与えるのも良い脚本だ。

同時に、ミステリーとして非常に誠実なのは、このカトリーナへの疑惑にはイカボットの科学的捜査や知性が一切関係ないということだ。確かに動機としては充分であり、関係者が全員死んだことでカトリーナに遺産が相続される流れにはなるが、そこよりもむしろイカボットは魔法陣の存在によってカトリーナを犯人と断定している節があり、そうなるとイカボットは完全に超常現象に屈した形になってしまう。
だからこそ、イカボットはここで初期の推理に立ち返ることでヴァン・タッセル夫人の遺体の不自然さに気づき、真犯人を解き明かさなくてはならなかったのだ。

絵画のような世界に落とされた一滴の毒:バートンらしい首なし騎士の造形

そこまでを終えたなら、後はバートンお得意のゴシックホラーとして物語は進んでいく。
終盤の燃え上がる風車は、『フランケンウィニー』(1984)から続く『フランケンシュタイン』のオマージュであり、ここで物語が終わらないのも良い。今作の異形は、首なし騎士も含めてここでは誰も死にはしない。物語はその先へと進んでいく。

マスバス・カトリーナ・イカボットの三人と首なし騎士の馬車での闘いは、アクションシーンとしてもスピード感があり、非常に見応えたっぷりだ。
臆病で馬に跨るのもやっとだったイカボットが、守るべき者のために勇気を出して闘うこのシークエンスは、三人がきちんと協力し合って闘っており、ついに孤独の中で生きてきた異形たちがその手を取り合う姿が描かれた。馬を乗り継ぎ、引きずられ、それでも闘うそのアクションは、彼らが自由を手に入れるための闘いでもあるのだ。

首を取り戻した首なし騎士の演出はまさしくバートンの真骨頂。髑髏に血管が、筋肉が浮き、クリストファー・ウォーケンの顔が浮かんでくる。このグロテスクな描写は森の魔女のシークエンスと合わせ、『ビートルジュース』やその以前の『ピーウィーの大冒険』から繰り返し描かれるバートンの悪趣味ポップの境地であり、ひたすら美しく静謐だった今作に僅かに垂らされたバートンの毒気だ。
首なし騎士を演じたクリストファー・ウォーケンは過去回想とラストで合計10分程度しか出演時間もなく、台詞は雄叫びだけなのだが、このシークエンスでは異常なくらいの存在感で魅せてくれる。

……ちなみに、首がない状態でのスタントのレイ・パークは『スター・ウォーズ エピソード1/ファントム・メナス』(1999)の《ダース・モール》役、被害者の一人トーマス・ランカスター医師を演じたのは同作同シリーズの皇帝:パルパティーン《ダース・シディアス》役のイアン・マクダーミドである。結果としてランカスター医師は教会でのシークエンスでスティーンウィック牧師と仲間割れの末死んでしまうので、モールはマスターには手を出さなかったことになる。本編とは関係ないが、映画好きは少しニヤリとしてしまう余談だ。

真犯人に描かれたバートンのトラウマ治療の記録

今作の真犯人であるヴァン・タッセル夫人の出自もまた、実はイカボットと同じように魔女狩りで母を喪い、村を追われた存在だ。彼女もまたイカボットと同じ傷を共有し、物語舞台の時代の“異形”だった存在である。
実際、妹の方は魔女として生きることを選んでいる。つまり、今作においても前作『マーズ・アタック!』と同じく、バートンの内側の異形が二つの側に分かれ、その中で闇に染まった存在を善の側が打ち倒す物語構成になっているのだ。更に言えば、ラストにタッセル夫人に首なし騎士が行う“死のキス”も、『バットマン リターンズ』でのセリーナからシュレックへの死のキスから続く意匠であり、かつ首なし騎士はシュレック役でもあったクリストファー・ウォーケンが演じているのだからこれは偶然とは言えないだろう。

今作でもまたバートンはこれまでの自身と、これからの自身を、無意識的にか意識的にか分けることで物語を描いたように感じる。
逆を言えば、こうしてトラウマ治療的に異形という存在と向き合った数作品があったからこそ、『ビッグ・フィッシュ』以降の作品では異形への共感が薄れていくのかもしれない。孤独の表像として描いていた異形に対して、その形式的な趣味好みは別として、段々と自身の孤独を重ねられなくなっていったのではないだろうか。
ある意味では今作はその最後の一作のようなものであり、この後『ビッグ・フィッシュ』と『チャーリーとチョコレート工場』で父との和解まで描いたことで、バートンの創作は明確に次のフェーズに移ったのだと思う。

総括:新たなる世紀へと向かう暖かな雪のエンディング

今作は、バートンのトラウマ治療がかなり先まで進んだ作品だと言える。それを、まさに原点回帰とも言うべき怪奇ロマンス映画で表現するのだから出来が悪くなるはずがない。

事件解決後の最終シークエンス……村には日が差し込み、昼間でも薄暗かった画面がようやく明るくなる。そんな中で、イカボットはマスバスとカトリーナを連れて雪の降るNYへ戻り、新たな世紀を迎えるのだ。
今作の公開は1999年。奇しくも現実の世界でも、新たな世紀の始まりに向けて人々は湧き立っていた。映画技術も向上し、CGで何でも作れるような時代を迎えたそんな時に、こんなにもアナログな物語で新たな世紀を希望と共に迎え入れるのだから、バートンには唸らされてしまうじゃないか。

画面は明るくなり、これまでの作品では哀しみと失われた愛の象徴だった雪が、ついにバートンの単独作の中で、暖かな雪として降り注いでいる。劇中で孤独だった者はそのトラウマを乗り越え、孤独にされた者は新たな家族を得る。単純にヒロインと結ばれてマスバスを置き去りにするようなこともしない。
異形たちは手を取り合う、文句なしのハッピーエンドが、バートン作品で本当に久しぶりに描かれたのだ。

ティム・バートン×ジョニー・デップ……黄金コンビの作品は今作で3作目だが、実はこの3作で後の定型になる白塗りジョニー・デップが登場するのは『シザーハンズ』だけ。
それだけ『シザーハンズ』の影響と、それを求める層は厚いのだろうし、『ビッグ・フィッシュ』以降のバートン作品がどうしても“自己模倣”的に感じられてしまうのも、その辺りが理由としては大きいのだろうが、今作や『エド・ウッド』での、人としてバートンの表像を演じた繊細なデップの演技こそ、真の意味でバートンとデップの最高の相性を感じられるものだ。

『エド・ウッド』で自らの根源とアートへの向き合い方を再確認したバートンは
『マーズ・アタック!』で自らの自罰的な異形と対話し
今作ではそれに加え“父との不仲”というトラウマにも本気で向き合うことになった。
そのトラウマからの脱却の一歩として人を信じる勇気を得たバートンのフィルモグラフィーはその先、父との和解を描く『ビッグ・フィッシュ』で一つの完結を迎えるのだと思う。

……いやその前に、バートンにとっても、シリーズIPにとっても黒歴史化してしまったお仕事映画『PLANET OF THE APES/猿の惑星』があるのだった……。

※【注釈】失われた『スーパーマン』が切り拓いたバートンの創作の連続性

最後に、余談ではあるが今作製作前に製作予定でキャンセルされてしまった『スーパーマン リヴス』についても軽く触れておきたい。

ニコラス・ケイジを主人公:クラーク・ケント=《スーパーマン》に据えて製作される予定だった幻のこの作品は、やはりバートンらしく原作のスーパーマン像とはかけ離れた、“異星人の孤独”を描いた物語として作られるはずだったという。
未公開のデザインボードにはバートンの手書きのスーパーマンが残されているが、見た目はマントをつけたエドワード・シザーハンズであり、やはりバートンがこの時期『シザーハンズ』の再演をやろうとしていたのは間違いないのかもしれない。

この映画についてはケイジもバートンも熱意高く、後々までインタビューで後悔を語るほどだったし、実際に製作は始まってもいたのでかなり悔しさは残っていたのだろう。
『ザ・フラッシュ』(2023)のマルチバースで軽く触れられてはいたが、バートンとしてはあの使われ方は納得がいっていないような旨をインタビューで残してもいる。
バットマンの印象を塗り替えてしまったバートンのこと、もしもこの作品が出来上がっていたらアメコミヒーローの代表であるスーパーマンのイメージも変わり、現在のDCUやDCEUもなかったかもしれないが、『スリーピー・ホロウ』という傑作も生まれなかったわけでそこはやはり運命的だったのではないかと思う。

『シザーハンズ』→『スリーピー・ホロウ』→『ビッグ・フィッシュ』を挟んでの『チャーリーとチョコレート工場』に至ることでバートンのトラウマの物語はデップの三部作とも見ることが出来、別れ→トラウマ→和解と親子関係が綺麗に繋がるが、
『シザーハンズ』→『スーパーマン リヴス』→『ビッグ・フィッシュ』の流れになると主人公を演じた役者がすべて変わり、それはそれでフィルモグラフィーとしては美しいが、もしかしたらそれぞれの物語の意味合いが変わり、ジョニー・デップを主演とする『チャーリーとチョコレート工場』は生まれていなかった可能性もある。

そう考えると、企画倒れも含め、映画作りのすべては創作の神様によって良い流れが作られているようにも感じるのだ。
(それはそれとして、『スーパーマン リヴス』は観たかった、本当に観たかった)

評価/鑑賞日

⭐ 4.0 / 5.0
📅 2025/08/07(DVD)

全作品のレビューがまとめて読みたい方はこちらから!

ティム・バートン全作品レビュー一覧

🩺 ティム・バートン“トラウマ治療期”考察レビュー

エド・ウッド(1994)

マーズ・アタック!(1996)

PLANET OF THE APES/猿の惑星

映画スリーピー・ホロウ(1999)のネタバレ感想 ティム・バートンの原点回帰!ゴシックホラーとミステリーの融合にしてバートンのトラウマ治療の第一歩

この記事が気に入ったら
フォローしてね!

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!

コメント

コメントする

目次