フジテレビドラマSP『リング』(1995)ネタバレ考察レビュー|初の実写化が描く中田秀夫版との違い

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鈴木光司原作:『リング』映像化全作品レビュー01

――呪いとは命の価値であり,彼女の生きた証だった……映画化以前 これが最初の『リング』

この作品はどんな作品?

映画より3年も早くフジテレビでドラマ化された『リング』最初の1本。

原作に極めて忠実な設定と記述通りのビデオの内容……それ以上に人間・貞子の孤独を描こうとしたホラー化以前の『リング』の原点。

この作品はどんな人にオススメ?

原作『リング』のミステリー要素に惹かれている人。

映画版『リング』の設定改変がどうしても受け入れられなかった人。

まだホラー・クイーンになる前の、貞子という一人の少女の一生に触れたい人。

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作品データ

原題:《金曜エンタテイメント》リング〜事故か! 変死か! 4つの命を奪う少女の怨念〜

監督:瀧川治水

脚本:飯田譲治/祖師谷大蔵

原作:小説『リング』(鈴木光司著)

音楽:池頼広

撮影:岩田一巳

製作:フジテレビ

回数:1回(93分)

出演者:

浅川和行:高橋克典

高山竜司:原田芳雄

山村貞子:三浦綺音

山村貞子(少女期):竹島由夏

吉野賢三:中村繁之

伊熊平八郎:清水綋治

山村志津子:堂ノ脇恭子

高野舞:浜田万葉

大石智子:雛形あきこ

浅川静:立原麻衣

長尾城太郎:田口トモロヲ

山村敬:上田忠好

※本レビューにはネタバレを含みます。

→鑑賞したバージョンはFOD配信版となります。

該当作品の他、本作原作小説、

続編『らせん』・『ループ』についても言及有。

総文字数:11469文字

読み終わるまでの時間:約29分

〜筆者より〜

さて、今週からは90年代Jホラーブームの代表作とも言える『リング』シリーズをレビューしていきます。

今年、2026年5月、原作者である鈴木光司氏が逝去されました。同作だけでなく多くの小説を執筆し、映像化された作品もあります。

筆者も今回のレビューのため改めて電子書籍版の原作を購入させて頂きましたが、書籍版は若い頃から何冊も読み、楽しませて頂きました。心から、心から哀悼の意を表します。

この連載では映画版『リング』・『貞子』シリーズに加え、今回のフジテレビスペシャルドラマ版、海外版リメイク三作、『貞子vs伽椰子』までをレビューしていきたいと思います。

本来であればもう少し早く着手する予定でしたが、先月・先々月と予定通り更新することができず、やや遅れてしまっていることをお許し下さい。

この『リング』特集の次には、2026/12/18公開の『アベンジャーズ/ドゥームズデイ』に向け20世紀FOX版の『X-MEN』全作品レビューを予定しています。

更新が滞りなければ同作公開までに、登場予定の初期キャストが出演した作品くらいはレビューが終わると思いますので、よろしくお付き合い下さい。

まずは『リング』。数奇な運命を纏った呪いのビデオの世界に参りましょう。

目次

製作背景:ホラーブーム前夜・原作準拠のSPドラマ

1991年に角川書店より刊行された、鈴木光司原作小説『リング』の実写ドラマ化。

後の東宝による映画版『リング』(1998)が90年代Jホラーの代表作/ブームの牽引役となってしまったために忘れられがちではあるが、今作こそシリーズ初の実写化作品である。

日本における新たなホラーアイコンとして一躍有名になった山村貞子。そんなホラー・クイーンを生み出した原作『リング』第1作は、原作者鈴木がまだ作家デビュー前、子育てをしながら執筆された作品だったと言われている。

鈴木の記録上の初作品は『楽園』(1990;新潮社)であるが、執筆としてはこちらが先行しており、1989年《横溝正史賞》に応募されて最終選考まで残った作品である。その時点では受賞も作家デビューも見送られていたが、『楽園』が《日本ファンタジーノベル大賞》第2回優秀賞に選ばれ、鈴木の商業作家デビューが決まったことで、今作原作も次いで出版されることになった。

横溝正史と言えば、《名探偵・金田一耕助》シリーズを生み出した日本でも指折りのミステリー作家だ。その名を冠する賞に応募されていることからもわかる通り、原作小説のジャンルは必ずしもホラーという訳ではない。

後の映画版と、それに伴う原作装丁の変更、それらのプロモーション活動の中で次第に“TVから這い出る”貞子のイメージが付き纏うようになってしまったが、原作発表時にはまだそのように語られることもほとんどなく、鈴木光司が所謂“ホラー作家”として紹介されることもなかったはずだ。

今作は映画より3年も前にフジテレビ《金曜エンタテイメント》枠で2時間ドラマ化された、TV放送作品。

監督は当時フジテレビで『怪談 KWAIDAN』(1992〜)等のドラマを撮っていた瀧川治水監督。脚本には小説『NIGHT HEAD』(1993〜;角川書店)シリーズの原作者であり、後に原作シリーズ2作目の映画版『らせん』(1998)の監督・脚本も務めた飯田譲治と、祖師谷大蔵が参加している。

2026年現在でもDVD/Blu-ray等のソフト販売はされておらず、当時のVHSテープ/LD版の中古販売を探すしかない。FODサブスクリプションでも鑑賞可能であるが、実はこちらも販売品で『リング 完全版』と銘打たれたバージョンと違い、一部シーンがカットされたTV放映版。BGM等にも変更があると言われており、正規手段で完全版を観るのは困難な状況だ。

後の映画版に押され、どうしても印象の薄い作品ではあるが、原作の設定に近い形で、“ミステリー・サスペンス”として演出された貴重な一本。演出等に古さは感じるものの、原作小説の読者であるなら、是非とも一度観ておきたい隠れた名作である。

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原作比較:原作貞子の設定と《リングウィルス》

変異するジャンルと『ループ』までの三部作

原作『リング』は、

続編である『らせん』(1995)、

完結編である『ループ』(1998)までを含む三部作(+番外編)であり、この作品同士の繋がりや物語の変遷が非常に特徴的だ。

三作は巻を増すごとに物語のジャンルそのものを変化させていき、『ループ』ではとうとう、始まりの物語からは思いも寄らぬ終幕に着地する。

それはまるで、第2作『らせん』で語られた“ウィルスの突然変異と増殖”のように……物語は形を変え、前作を否定するかの如く展開していくのだ。

『ループ』の後書きでは、三部作構成は初めから予定していたものではないと語られており、『リング』終盤のある登場人物の末路すら、執筆開始時には想像もしていなかったと、著者である鈴木は各所のインタビューで口にしている。

ただ、同じく『らせん』の後書きでは、同作は“二匹目のどじょう”を狙ったわけではなく、あくまで最初から構想していた物語だとも語られている。この辺りは原作者本人の談も揺れており、リップサービスも多分に含まれていたように思う。

どちらにせよ、三部作の物語はほぼ矛盾なく繋がっているので、その構成能力は流石の手腕と言えるだろう。

今作はあらゆる『リング』映像化の中で、最も“原作小説の設定が活かされた”ドラマ作品であり、今作でのオリジナル設定が後の映画版にも取り入れられていたりと、映像化改変の原点が感じられる。

映画シリーズだけを観ていると耳慣れない設定や物語の進行も多く見られるだろうが、そのほとんどが原作小説から忠実に映像化したものであることは留意しておきたい。

両性具有の貞子と「子を成したい」という願い

貞子が“両性具有”であり、女性と男性の両性の身体的特徴を持っているというのは、後の映画版ではほぼ完全にオミットされた設定だ。しかし、これは『らせん』で変異する呪いとウィルスの関係……及び『ループ』の世界観そのものにも繋がってくるため、実は原作シリーズにおいて非常に重要な事項である。

貞子の呪い……今際の際の願いの一つに“子供を遺したい”というものがあり、その強い執念がビデオテープに念写された、というのが物語の発端となる。原作ではその身体的特徴から貞子は子を成すことが出来ないとされており、《呪いのビデオテープ》こそが彼女の子供の役割……貞子の生きた証、遺伝子そのものであるというところまで物語は発展していく。

今作終盤で高山が貞子に語り掛ける「あなたの子供だね」といった台詞から、今作ではそれが観ている側にきちんと理解出来るように作られている。

また、生前の貞子と最後に性的関係を持った長尾医師が天然痘ウィルスに感染していたことから、貞子が天然痘のキャリアとして死んでいったというのも、原作では呪いを論理的に説明する設定の一つである。貞子の呪いがウィルス化して広がっていく、『らせん』の物語への伏線にもなっており、物語舞台の時代性含めて非常に面白い設定ではあるのだが、今作でもこれはオミットされた。現在のところ、この設定は原作だけのものだ。

勿論、原作でもあくまで貞子のビデオテープは呪いとして扱われており、その描写が真の意味で科学的かと問われれば“なんちゃって科学”ではあるものの、原作はやはり、こうした謎解きのミステリーが面白さの中心になっている。

貞子の呪いは、呪いである以上に“願い”に近い。

「子を成したい」

「自身の生きた証を広めたい」

その代償として“一週間で死ぬ”という条件が織り込まれたというのが実態であり、相手を殺すことだけが目的ではない。むしろ、死なれるよりも、呪いを拡散してくれなければ意味がないのだ。

貞子の呪いは後に《リングウィルス》と称されるようになる。これは原作にも文言として登場しているが、ウィルスの多くは、宿主を殺してしまっては自らも死滅してしまう。だからこそ、原作及び今作の呪いのビデオには、呪いを回避する方法=呪いを拡散する方法がきちんと記述されているのである。

その方法を、最初に観たはずの高校生と予備校生の4人組が消してしまい、呪いのビデオが変異してしまったことは、貞子にとっても誤算だったはずだ。

この後ウィルスは『らせん』の物語の中で変異し、別の形に進化していくことになるが、そうした点も踏まえると、貞子の呪いの論理的な解剖を描いた今作の重要性がよくわかる。

今作では、劇中に登場する呪いのビデオに収録された内容までもが原作小説の記述をほぼ忠実に再現しており、そうした点でも後の映画版とはかなり内容が違っている。

映像論:原作の記述に極めて忠実な呪いのビデオと細部へのこだわり

ミステリーの中核・呪いのビデオの高い再現度

ドラマ版は映画版と比べ、序盤で死亡する4人の死に様にもホラー演出はほとんどない。

冒頭で犠牲になる浅川の妻:静の姪である智子が風呂場に追い詰められていく描写はややホラー的と取れなくもないが、血濡れた手でガラス戸に触れるなど、やはりミステリーで犯人に追い詰められる被害者の撮り方に近い。

このあたりは、90年代後半〜2000年代のサスペンス・ミステリードラマ『眠れる森』(1998)や『古畑任三郎』(1994〜)にも表現としては近く、制作局は異なるが『金田一少年の事件簿』(1995〜)や今作と同じく飯田譲治が脚本・監督を務めた『アナザヘヴン〜eclipse〜』(2000)にも通ずる画作りだ。

この時代のミステリーやサスペンスには、映像や演出にどこかホラー的な怪奇趣味を匂わせるものも多く、今作で採られた方式も、意図的にそうしたと言うより当時のオーソドックスな演出法だろう。彼らの死亡時の表情も、映画版のように極端に引き攣った形相にはなっていない。

前述の通り、映像的に何より特筆すべきは呪いのビデオの内容だ。原作の文章をそのまま映像化したようなビデオテープ……これを作ったというだけでも今作には観るべき価値がある。

原作の映像は、

光の点滅→「終いまで見よ モウジャに食われるぞ」の脅し文句→火山の噴火(抽象→具体)→「山」の文字→サイコロ→老婆の予言→赤ん坊→「詐欺師!」と騒ぎ立てる群衆→TVに念写した「貞」の文字→長尾医師との情事→井戸から見た最期の風景→呪いの回避方法

となっている。

今作ドラマ版では、

光の点滅→火山の噴火→サイコロ→「山」の文字→老婆の予言→赤ん坊→ TVに念写した「貞」の文字→貞子の母:志津子と伊熊平八郎の実験失敗→貞子の念力による《劇団飛翔》劇団員:重森の殺害→長尾医師との情事→井戸から見た最期の風景→呪いの回避方法

と映像が移り変わる。

このうち、原作の「詐欺師!」と騒ぎ立てる群衆とドラマ版の実験失敗は同じ風景を別の角度から描いたものであり、ドラマではよりわかりやすい場面を描いたのだろう。映像の順序に多少の変動はあるものの、内容としては概ね原作に書かれている通りだ。

冒頭の「終いまで見よ〜」がカットされているのは、呪いの回避方法と印象が被るのを考慮してのことだと思われる。

今作をミステリーとして映像化するならば、謎解きのヒントのほとんどはこのビデオテープの中にあり、その内容を忠実に再現することは最重要課題でもある。

ちなみに言うと、ドラマ版と原作ではサイコロのシーンで出る目の数にも違いがあるのだが、これは実は『ループ』で拾われる重要な内容に関連してくるのでこだわって欲しかったところではある。ただしこれに関しては、ドラマ放送時点ではまだ『らせん』が刊行されたばかりだったので致し方ないところだろう。

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原作再現へのリスペクトが随所に感じられる映像

今作の映像はこのように、細部にまでかなりのこだわりが感じられる。何しろ、ビデオ冒頭の光の点滅の動き方すら、原作小説の記述にかなり忠実で驚かされるのだ。民放のスペシャルドラマ枠ではあるが、90年代半ばのまだまだTVドラマにも予算がしっかりと掛けられていた時代ということもあるだろう。

貞子の落とされた井戸の跡地に建てられた南箱根の貸別荘の周囲に不自然な地蔵が置かれていたりと、雰囲気作りのための妙な小道具などもなくはないのだが、基本的にはストレスなく鑑賞することが出来る。登場する場面の一つ一つが原作の描写をきちんと再現しており、文字で読んでいた印象と大きな乖離はない。

この頃の実写化作品には、『東京ラブストーリー』(1991)や『あすなろ白書』(1993)など、どうしても映像化の際に、そのドラマの出来/不出来とは別に、原作の設定の簡略化や大幅な改変が目立つ作品も多かったが、今作ではそうした意味でも原作を活かそうとする意識がかなり高いように思う。

これには、後に『らせん』の映画化にも携わる飯田の原作へのリスペクトや、本人がドラマ製作者であり、小説家でもあるという出自も関係しているのかも知れない。

物語論:貞子を呪いの主ではなく、孤独な一人の少女として描いた

貞子を愛した男達……原作準拠のドラマ版の大きな改変点

物語はまさに原作の進行の通りに、浅川と高山の謎解きを中心に進んでいく。

その中で原作とはやや異なる印象を残すのは、今作のテーマの中心に“愛と孤独”が強く描かれていたことではないだろうか。

例えば、原作での長尾医師と貞子の間には、今作のような恋慕の想いはない。

長尾は天然痘ウィルスに侵され、朦朧とした意識の中で貞子と無理矢理に性的関係を結び、結果として彼女を井戸に沈めて殺してしまったという物語が語られる。

貞子からの殺意の念を受け取り、それに導かれるように殺害に及んだという描写は今作と同様だが、原作の長尾医師には、どこか彼自身が犯した性加害の隠蔽という側面も見え隠れしている。

今作の長尾は、貞子を愛していた。貞子も長尾を愛していた。長尾は貞子と父である伊熊の関係すら知りながら、それでも貞子を愛した男として描かれている。

だからこそ、貞子には長尾への殺意が芽生え、すべてを告白した長尾もまた、呪いとは関係なく自ら命を絶ったのではないか。

彼女は自身の身体の秘密を知り、その手を止めてしまった長尾への失望から彼を殺そうとしている。

原作では劇団飛翔の主催者であった重森も、今作では役者見習いの若者として描写されていたが、恐らくこの重森もまた、無理矢理に関係を持とうとした上に、彼女の肉体について口汚く罵るようなことをしたのではないだろうか。

そうしたシーンが描かれているわけではないが、回想の中に登場する重森も、一緒にいた劇団員の有馬も、貞子の部屋を覗くなどかなり下世話な人物として描かれており、そうした姿を想像することは容易だ。

貞子の肉体を含め、その存在を受け入れていたのは、結果として彼女の実の父親である伊熊だけだった。

この貞子と伊熊の関係は今作のオリジナルであり、原作の二人の間には肉体関係はない。映画版では長尾医師が登場しない代わりに、貞子を井戸に落としたのが伊熊になっており、もしかするとそこにも今作からの影響があったのかも知れない。

長尾の自殺も、伊熊との関係も原作での描写を考えるとかなり大きな改変であり、そのどちらも今作における貞子の孤独を深めている。

孤独を重ね合わせた実の父との関係……問題の多い描写だが筋は通る

伊熊と貞子の関係は、決して許されるものではない。

今作でも伊熊は原作通り志津子と不貞を働いており、そこで生まれた貞子と関係を持つことは、二重三重の意味で倫理的な問題が生じている。

こうした物語の運びにはやはり下世話で極端な、悪い意味でのTVドラマ的作劇が感じられ、実の親子に生じる性愛を純粋無垢なものとして描く倫理観にも正直辟易してしまうところではある。

しかし、伊熊と貞子が互いの孤独を分け合い、唯一無二の関係を結ばざるを得なかった、というのは、貞子の呪いが生まれるに至る物語の説得力として非常に強いものがあったように思う。

貞子は幼い頃から自身の不思議な力により孤独を強いられ、その肉体にも大きなコンプレックスを抱いていた。

伊熊は自身の研究の正しさを証明するために志津子と共闘し、学会に、社会に後ろ指をさされすべてを失った。

志津子が火山に身を投げた後、互いの孤独を埋められたのはその爛れた関係だけだったのだろう。貞子がいくつの時からその関係が結ばれていたのかはハッキリしないが、劇団に入ったのが高校卒業後とされているので、まだ十代のうちにそれは始まっていたはずだ。

誰にも受け入れられなかった少女の身体を、心を、実の父親だけが受け入れた……。それが許されない行為であったとしても、彼女はそこに希望を見出すしかなかったのだ。

それでも、その関係は長くは続かない。

病に侵された伊熊は余命幾許もなく、彼女の肉体は子供を作ることも叶わない。女優としての夢も、その美しさに翻弄された男達によって、最悪の形で引き裂かれてしまった。

彼女の人生は、ただ奪われるだけだった。母を亡くし、愛には裏切られ、誰からも不気味な人間と罵られ、望みは何一つ叶わぬまま、愛してくれたかも知れない男の手で井戸に落とされた。

そんな貞子の孤独が今作では強く印象付けられており、これは原作からはあまり読み取れない要素だ。

原作にも貞子の生い立ちは描かれているが、その内面については後の作品まで現れることはなく、読後感としてはやはり超然的な、不気味な存在として描かれていたように思う。

ドラマ版貞子は悪霊ではなく、哀しい一人の少女だった

映画シリーズ……特に『リング0 バースデイ』(2000)では原作小説である『バースデイ』(1999)から大きく物語が改変され、生前の貞子を一人の少女として描く物語が展開された。

そうした、人間としての貞子を描く方向性の基礎は、実は今作に既にあったのかも知れない。

原作での長尾医師は第2作『らせん』で心神喪失状態に陥ってはいるものの、貞子の怨みの対象からは外されており、彼自身も貞子の死への責任を感じている様子はなかった。

貞子への性加害と殺害に関しても、それ自体が貞子のマインドコントロールによるものだったとすら書かれている。

今作の長尾もまた貞子を井戸に落とす役割そのものは原作と変わっていないが、彼が最後にとった選択は、恐らく心に残っていた貞子への愛と後悔によるものだったのではないだろうか。

原作ではほとんど出番がない志津子の従兄弟:山村敬にしても、伊熊や世間に利用された志津子や貞子を守れなかったことを強く後悔していることが語られ、貞子自身もまた、劇団に入るまでは彼と手紙のやり取りがあったことが描写されている。

重森を殺害してしまい、頼る相手が父だけになった時点で貞子も連絡を断ったのだろうが、そういった点からも、貞子から山村への親愛が確かにあったことが推察出来る。

終盤で貞子の遺骨を受け取った際には涙を流し頽れており、そんなところにもまた、どこか貞子への救いや愛が感じられるのだ。

こうした描写が重ねられるからこそ同時に、貞子の孤独はより深くなる。

彼女の死にも、人生にも、そうした愛は決して届かなかった。彼女が相手からの愛を本当の意味で感じ得たのは同じ孤独を抱えた実の父だけであり、生前の彼女のその痛みは、他の誰にも理解出来なかったのだから。

それは物語の主体である浅川にしても同じだった。浅川は最後まで、貞子を呪いの主としてしか見ていなかっただろう。

劇中現在の舞台の中で、彼女を理解しようとしていたのは、恐らく高山竜司ただ一人だったのではないだろうか。

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キャラクター考:シリーズ真の主人公・高山竜司

原作・映画・ドラマ……多種多様な高山竜司のキャラクター性

高山竜司は、2026年現在に至るまで一度も原作に忠実な映像化がされてこなかったキャラクターでもある。今作を再三“原作に極めて近い映像化”と述べてきたが、そんな今作ですら、高山に関して言えば原作とはかなり乖離したキャラクターに設定されている。

映画版シリーズも今作も、物語の軸に山村貞子という、呪いの根源としてのキャラクターが置かれるようになった。数奇な運命に囚われたホラー・アイコンは物語を盛り込みやすく、それは確かに『リング』を一つのIPとして成長させた要因の一つだろう。

しかし、原作シリーズにおける真の主人公は高山であり、シリーズ全体が《高山竜司ユニバース》とも言うべき作りになっているのである。

『リング』には浅川が、『らせん』には安藤満男という主人公、視点となるキャラクターがいる。

両作での高山は貞子の謎を解き明かすヒントを与える者であり、“物語の外側にいる協力者”という立ち位置だった。

しかし、三部作完結編の『ループ』、そこから14年の時を経て刊行された正統続編『エス』(2012)・『タイド』(2013)にしても、シリーズすべてに登場しているのは高山竜司だけだ。

そして、そんな高山は呪いの主である貞子と鏡合わせの、対照的でありながら極めて近い存在として描かれている。

今作の高山は浅川より年長者に設定され、浅川を女性キャラに改変した映画版と違い、男同士の粗野で猥雑な関係性や、乱暴な言葉のやり取りがサスペンス劇と非常に相性が良い。

高校の同級生として描かれた原作と違い、高山を演じた原田芳雄と浅川を演じた高橋克典には二回りほどの年齢差がある。

弱気になる浅川を嗜める姿や、死への恐怖を語る浅川への「ふーん。死んだことあんの?」といった飄々とした台詞にも、原作とは違った意味合いや余裕が滲み、どこか擬似親子のようにさえ見える。

今作での高山が霊感を有しているというオリジナルの設定が、後の映画版にも取り入れられたことも押さえておきたい。

今作の高山は過去に妻を亡くしており、その死を自身の霊感により察知するも、その言葉は世間に疑われ、彼自身が殺害犯のように扱われたという過去がある。

浅川は以前高山の能力について記事を書いており、そうした事件の影響もあって、勤めていた新聞社内内で左遷されたという設定になった。

高山の背景にある妻の不審死の物語は深く語られることはないが、手の平返しをする社会やゴシップ記者への苦々しい憤りが、高山と貞子の共通項となっている。

そして、世間から見捨てられ、新聞に詐欺師のように書き立てられて死んでいった志津子と、マスコミ側にいながら高山と関係を切ることがなかった浅川との関係性が対比関係にもなっているのだ。

原作の複雑な人間性を霊感という共通項にまとめた名采配

原作での高山は自身の性格や立ち振る舞いを相手によって使い分け、浅川の前では“悪人”……性加害者を気取る、というキャラクターになっている。

実際には高山は自身に性的コンプレックスを抱えており、それが貞子の肉体的特徴への共感という形で描写される。

「処女のまま死にたくないって気持ちは、そんなにバカげてるのかよ」

という原作の台詞や、超然的な頭脳、

「丘の上から人類の滅亡する光景を見物しながら大地に穴を掘り、その穴の中に何度も何度も射精したい」

という願望を口に出す虚勢混じりの姿は面白くはあるが、この複雑な感情を2時間のドラマSPで説得力を以て描くのは困難だったろう。

今作では原作の粗野な発言や、空気の読めない調子を残し、霊感という貞子と共通する特徴を与えることで一人のキャラクターとして成立させている。

ただ、そんな中でも恋人のように見える高野舞との間に肉体関係がなかったことや、貞子の霊に対し「貞子さん?」と敬称をつけて呼ぶところなどに、原作での自分の性格設定を相手により変える点が見え隠れしている。

事件が一度解決し、浅川と電話をしながらの「一杯やるか」に見られる男同士のやり取りなども、この原田演じる高山だからこそ出せる空気感だろう。

原作の高山とは映画版以上に異なる印象だが、飄々としていながらどこか慈愛に満ちた高山は今作でしか観られないキャラクターだ。

その最期もまるで貞子と対話し、彼女を受け入れるかのようにゆっくりと倒れていく。高野舞と一緒にいたことで、『ループ』へと繋がる電話などもなくなってしまったが、この死に様もまた、今作の雰囲気によく合っていた。

演出論:何を活かし何を削るかで変化していく映像化の歴史

超常的描写のカットと僅かに残したホラー演出

今作の演出を見ることは、『リング』という原作が映像化される際に何を残し、何を削ることで様々なパターンを生み出していったかを理解することに繋がる。

映画版『リング』は今作に比べ原作からの改変要素が多く、物語の感触もかなり変わっている。しかしその一方、今作ではカットされた原作のシーンを忠実に映像化している箇所もある。

そうした比較をしながら観ることも、シリーズを後から追う楽しみの一つだ。

今作はホラーではなく、サスペンス・ミステリーの要素が軸である。

そのため、貞子の母志津子については、驚くほど印象が薄い。原作においては貞子の故郷である伊豆大島に訪れた際、浅川と高山が話を聞くのは志津子の幼馴染である源次であり、そこでは志津子が不思議な力を得たきっかけが語られる。

今作ではそうした場面をすべて削り、前述の山村敬の物語を新たに付け加えている。

原作にもホラー要素は確かに存在しているが、そうした部分を出来る限りオミットし、全体をロジカルなミステリーとして、そして貞子の呪いに、より人間的な理由づけをしようとしたのが今作ではないか。

一方で、浅川が初めて呪いのビデオを観る際に原作で描写される身体的感覚も今作ではしっかりと演出しており、そこには一種グロテスクなホラー描写も確かに残されている。

特に、ビデオ内の赤子を直接浅川が抱いているかのように錯覚するシーンは、血塗れの手に乗る小さな胎児の造形も不気味で、ああした映像は近年の民放ドラマではなかなか見られない、この時代ならではの演出と言えるだろう。

またホラー作品という意味で言えば、“まだ無名だがこれから売り出そうとするタレント・女優が最初に犠牲になる”というジンクスが存在すると筆者は思っているのだが、今作でも最初に呪いを受ける智子を演じているのは当時まだデビューしたばかりの雛形あきこであった。

放送時1995年と言えば雛形がフジテレビバラエティ『めちゃ×2イケてるッ!』の前身『めちゃ×2モテたいッ!』にレギュラー出演し始める年であり、このジンクスに当てはまっているようにも思うが、これは余談として楽しんでもらえれば良い。ホラー作品を観る際、こうした点を気にしてみても楽しいものだ。

映画版との違いと『らせん』との関連性とは?

映画版が浅川の“家族の物語”として原作を再構成したのに対し、今作では浅川家にはまだ子供が産まれておらず、妻は妊娠中ではあるが浅川が案じるのはひたすら妻についてのみである。

そのため、貞子の「子を成したい」という切迫さにそこまで浅川は理解を示しておらず、古井戸での貞子の亡骸との対峙も、今作ではほとんど時間を掛けず、浅川が一週間のカウントダウンを超え、生き延びた段階でカットが変わってしまう。

映画版での、まるで貞子の骨を愛おしむかのように抱き竦めるシーンとはかなり異なる印象があり、こんなところにも、浅川が最後まで貞子を“理解すべき相手”として見ていなかったことが透けて見える。

そしてだからこそ余計に、その直後の高山の死のシークエンスでの、貞子に対する叙情性も増すのだろう。

映画版では映像化された、古井戸に向かう直前に家族に電話する場面も今作では映像化されていないが、あれは子供の声を聞くことでより不安と未来への希望に揺れるシーンでもあるので、まだ子供が産まれていない今作でカットされるのは納得だ。

妻の静の寝顔を見つめながら「後3日……」と噛み締めるシーンなどもあるが、家族の物語という要素はどちらかと言えば貞子と山村や、伊熊と貞子の関係などに割り振られていたように思う。

原作ラスト、車にビデオデッキを乗せ、妻の実家へと向かうシーンも今作にはないが、これは映画版が、家族の物語の最終地点を最高の形で映像化しているのでそちらを是非観てみて欲しい。

その分、今作ではラスト、自身が呪いの伝播役に変わってしまったことに嘆きながらも、終わらないリングの連鎖の中に取り込まれていく世界を俯瞰するかのようなナレーションが入り、原作の『らせん』まで繋がるような示唆をして終わりを迎える。

子供を抱いた貞子が高野舞の身体をすり抜けていく描写など、その後の物語を知った状態で観るとニヤリとする演出もあり、放送前後で刊行された『らせん』の物語について製作陣がどこまで知った上で作られた作品なのか想像を巡らせるのも楽しい。このドラマのシリーズ化した未来も、見てみたかったものだ。

総括:これぞ『リング』映像化の原点!今こそ再評価を

原作・映画・そして今作と、様々に変異し、それぞれの魅力を引き出した『リング』という物語。

その原作に現状最も近い映像化をしながら、原作とは大きく異なる後味を残すこのサスペンス・リングの存在を、今一度確認してみて欲しいと思う。

どのバージョンを観たとしても、最終盤でのすべてが裏切られる感覚は非常に気持ちが良いものだ。

一週間をかけて呪いを解いていたのではなく、知らず知らずのうちに呪いの一部に変わっていたことで命を救われた浅川と、それに気づかなかった高山……あまり“どんでん返し”の物語として語られることは少なく感じるが、この展開は何度観てもその鮮やかな手腕に目を見張る。

90〜2000年代Jホラーブーム……そのホラーアイコンになる前の、まだ人間だった貞子の孤独と、原作通りの半陰陽としての姿を描いた数少ない作品の一つ。

現在では観る手段が非常に限られており、この一作のために新しいサブスクリプション・サービスに入会するのもややハードルが高いかも知れない。しかし、もしも原作『リング』を未読で、映画版のイメージしか持っていない人がいるのなら、是非一度観て欲しい作品である。

フジテレビはこの後、貞子ブームの渦中の中でも『リング〜最終章〜』(1999)・『らせん』(1999)と2シーズン連続でドラマ版のオリジナル・ストーリーを製作している。

そちらでは元TOKIOの長瀬智也が高山竜司を演じ、また違った世界観を展開していくことになるのだ。

映画版とも原作とも別に、フジテレビと共に独自の変異を遂げたリングウィルスの、その最初の物語を……多くの人に、ダビングして広めて欲しい。

猶予は、もう一週間しかない。

……かも知れない(笑)

評価/鑑賞日

⭐ 3.5 / 5.0
📅 2026/10/20(FOD)

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