Netflixドラマ『ガス人間』(2026)第6話「無風」ネタバレ考察レビュー

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前話レビューはコチラ

――そのものの真の価値を理解しない者が、それを使用することほど……悲劇的なことはないのだよ

by 三浦威(演:岡部たかし)

作品データ

原題:ガス人間

監督: 片山慎三

脚本:ヨン・サンホ

リュ・ヨンジェ

原作:『ガス人間第一号』

(監督:本多猪四郎 / 脚本:木村武)

音楽:大間々昂

主題歌:サザンオールスターズ

「いとしのエリー」

製作:東宝

配信:Netflix

出演者:

ガス人間/堤田蓮:UTA

岡本賢治:小栗旬

甲野京子:蒼井優

藤川華歩:広瀬すず

藤川富士太:林遣都

坂本守(警視総監):ピエール瀧

阿部美智子:芋生悠

吉田則夫:こばやし元樹

三浦威(東京都知事):岡部たかし

森靖利(上場企業「ビットマネートレード」社長):竹野内豊

森靖利(過去):野村周平

西山達也(テレビ局JNT 報道記者):伊島空

岡本信也(賢治の父):青木崇高

大友リキ(指定暴力団「藤代会」若頭):松浦祐也

小畑広紀(過去):中島歩

坂本千恵子(坂本の妻):原日出子

本レビューは第06話の完全ネタバレレビューとなります

筆者は配信全8話視聴済みですが、出来る限り06話時点のネタバレで語ります。

リメイク元映画『ガス人間㐧1号』についても言及有。

総文字数:6380文字

読み終わるまでの時間:約17分

目次

第6話短評

ドラマは後半戦に入り、前回に引き続き怒涛の伏線回収に入っていく。

今回はガス人間:堤田蓮がどのようにしてあのような怪物になったのかが語られ、長らく追って来た無風の最後の一人、カイの正体も明らかになる。

……が、やはりそうしたサスペンスな本編演出には思うことが多々あり、むしろ原作映画のDNAや、キャラクターとしての魅力を感じるのは本軸ではない藤川兄妹であることは変わらない。

ドラマの作りも定まっていない様に感じられ、相変わらず楽しみ方はわからないままである。

ガス人間の誕生には原作《変身人間シリーズ》へのオマージュが感じられて楽しい

今回描かれた蓮の死には、原作『ガス人間㐧1号』や変身人間シリーズへのオマージュが見られ、その悲劇を形を変えて継承していたように感じる。

蓮たちが向かった隕石の落下現場、現場に入ることもなく、外で監視しているだけの森や小畑が防護服で全身を覆いながら、実際に作業に入る蓮たちに配られるのは薄っぺらいマスクが一枚……いくら1999年という舞台設定とは言え、この衛生観念がおかしいことがわからない人間はいないだろう。

実際、蓮も一度は逃げ帰ろうとするも、森によって京子の話を持ち出されることでその場に留まっている。こうした危険な現場に弱い立場の人間が入っていく描写には、キャスリン・ビグロー監督の『K-19』(2002)と通じる意匠も感じられる。

権力者に搾取される弱者……蓮の他のメンバー達も明らかに“訳あり”な人選であり、一人は病気なのか、既に現場に入る前から立つのもやっとの有様だ。

小畑が「うちから一体何人出したと思ってるんだ」と言っているように、集められたメンバーはホワイトセンターの入所者に限定しているわけではなく、大金を餌に森がスカウトした人間や、藤代会に何かしらの弱みを握られた者もいたのではないだろうか。

これは、原作映画での佐野博士が水野を実験に誘い込んだ描写に近いものが感じられ、いつの時代にも、人々の貧困につけ込む人間の悪辣さは変わることがない。これは現代的な置き換えとしても納得しやすいものだ。

また、隕石から放出される有害物質の描写には明らかに放射能を思わせる表現があり、これには『ガス人間㐧1号』と同じく東宝の変身人間シリーズである『美女と液体人間』(1958)の水爆実験で被曝した、という設定や、原作ガス人間の初期設定が“宇宙人によってガス人間にされた”というものであったことも踏まえているように感じる。

こうした部分には、やはりきちんと原作を知った上でリメイクに当たった痕跡が見て取れるのだ。

隕石に近づくほどに脱落者は増えていき、その道中には焼け焦げ、灰化した沢山の遺体が転がっている。

どう考えてもまともな仕事であるはずがないが、ここまで来たら進まざるを得ない。こんな仕事をさせる人間達が、手ブラで帰った人間に何をするかなど、考えるまでもない。

この一連の描写は決して派手ではないが、静かな狂気と恐怖に満ちている。

全身が火傷のように爛れ、身体からガスが吹き出す蓮と、淡々と作業を進める外の森達。ようやく外に出てきた蓮は明らかにもう“助からない”見た目をしており、真っ黒な煙を出しながら「助けて」と森に縋りつく。

その目にはもう、森の姿も映っていないのだろう。ただ誰でも良い、目の前の何かに縋りたかった。そうして彼は、死体すら残さずその場でガスとなって消えたのだ。

京子のキャラクター造形にどうしても疑問を感じてしまう

「京子は被害者である」は免罪符にならないのではないか

蓮の過去回想シークエンスは悲劇的であり、この過去を踏まえた上で物語を観ると、京子の復讐にも妥当性が感じられるのかも知れない。事実、脚本上は物語をそういう風に描いているのだろうし、そのためにここまでのエピソードは積み重ねられてきたのだとも思う。

しかし、やはり筆者はどうしても最後まで、京子自身にも、京子の犯行にも共感を覚えることがなかった。

それが、今作に対して必ずしも高い評価をつけられていない、つけられなかった理由でもある。

この第6話の京子の行動は、すべてにおいてあまりにも身勝手で自分本位だ。彼女が今作の“犯人役”であることは既に判明しており、彼女の罪は誰の目にも明らかではあるが、物語は京子を犯人としてでなく、大いなる運命の被害者として描いているように感じてしまう。

京子の痛みに脚本は寄り添っている。それは良いだろう。しかし、それで罪が許されるわけではない。原作映画はガス人間:水野の罪について、描いている側も自覚的に描いていたが、今作の京子の描写からは、それが感じられなかったのである。

京子はJNT局内で後輩の西山と坂本の死亡報道を観ながら、坂本の妻がマスコミのインタビューで憔悴し切っている姿を見る。

西山は「そりゃ“マスゴミ”って言われるわ」とぼやいているが、第3話で超・指向性マイクで藤代会を盗聴していた彼が言うことではない。このあたりもどうにも倫理観の境界がブレているのだが、問題はこの後の京子の行動である。

あまりにも自分本位で身勝手な正義と復讐心で動く京子

なんと彼女は、坂本の妻にわざわざ坂本の罪の証明たる日誌を見せにいくのである。

行動の理由としては明確で、彼女の復讐の対象はもう一人……謎の男・カイがいる。情報源となるべき坂本が自身の計画外で死んでしまった以上、どうにかして情報を得るしかないのだろう。

……が、坂本の妻はなにも知らず、彼女もかつての京子と同じ被害者の立場であると言って良い。しかも、わざわざ西山の口を使い、「おしどり夫婦だった」「学生の頃からの付き合いだった」と物語上不要な説明までさせ、その上での行動だ。

そこに僅かでも躊躇いや、坂本の妻への同情が描かれていればまだ違ったかも知れないが、そんな描写は少なくともこの第6話内にはない。

彼女にとっては坂本妻は単なる情報提供者でしかなく、必要な情報が手に入ればすぐに引き上げ、ガス人間に最後のターゲットであるカイの殺害指令を送ってしまう。

そうして、すべての復讐の準備が整うと、前話で言っていた通り、岡本に連絡して罪の清算へと向かうのだ。

演じた蒼井優の演技は、ここまでも、そして先の話になってしまうがここからの2話、ラストに至るまで本当に素晴らしかった。

今回も殺害指令を送った直後、彼女にとっての復讐の終わりに、無言で涙を堪えるように空を見る表情には、復讐を終えたとて決して晴れることはない苦しみと、彼女のこれまでとこれからを反芻したかのような、終わりへ向かう痛みが同居している。

しかし、だからこそ、その痛みに巻き込んだ存在に対して何の想いも感じさせない脚本への疑問が、どうしても湧いてきてしまう。

今回序盤では坂本の死により富士太と華歩が拉致され、それに対し案じる姿はあるものの、華歩の携帯からメッセージの返事が来ると、京子はすぐに納得して二人のことなど捨て置いてしまっている。

しかし、京子が相手にしているのはヤクザや警察組織まで束ね、警視総監すら自殺に見せ掛けて殺した組織である。

それに間違いなく狙われるであろう二人に対して、この対応は甘過ぎる。自身の復讐で頭が一杯なのだろうが、この辺りの思慮の浅さも、見ていて本当に頭を抱えてしまうのだ。

カメラは明らかに藤川兄妹をメインに撮っているのでは??

妹の安全だけを求める富士太の抵抗と決断

それでもこの第6話がドラマにおけるハイライトになるのは、やはり藤代会に拉致された藤川兄妹の存在があるためだ。

富士太がYtubeに上げたガス人間の動画は一晩で400万再生を突破しており、意気揚々と自宅に戻ってくる。コンビニバイトの帰り……廃棄弁当を4つも抱え、「笑門来福」と嬉しそうな富士太の姿にもまた、兄妹の人生が透けて見える。

しかし、そこに待っていたのはリキ率いる藤代会であり、華歩は既に縛り上げられているのだ。

富士太は拷問に遭い、知っている情報のすべてを話すことになるが、この際にも富士太はただ華歩の安全だけを気にしており、華歩を逃すことだけを考えて動いている。

ガス人間のアジトでも、蹴られ、殴られみっともないほどに泣きながらも、「妹だけは助けてください」と縋り付く。

これが奇しくも前述の京子と対比的になっているのが象徴的で、あくまで自身よりも妹の安全を優先する富士太と、自身の目的のためだけに他人を巻き込む京子とではどちらに共感が生まれるかは言うまでもない。

富士太は、華歩を守るためにガス人間への指令の出し方を答えてしまい、用済みの藤川兄妹はガス人間の次のターゲットになる。ここからの描写は、あまりにも哀しく、そしてドラマ全話を通しても一、二を争う名シーンだ。

ガス人間から車で逃げる富士太は、道すがらにあるセルフのガソリンスタンドで車を停め、そのガソリンを頭から被る……そうして、まるでガス人間を誘き寄せるかのように車を降りて走り出すのだ。

華歩からすれば意味がわからなかっただろう。車ですら追いつかれそうになる中、わざわざ車を降りて逃げようとする兄、そうして、富士太はガス人間に追い付かれる寸前に、華歩を川へと投げ込む。

原作『ガス人間㐧1号』のDNAを最も宿していたのは藤川兄妹だった

ガス人間は二体に分裂できるわけではない。近くにいた富士太のみを狙い、身体の内側へと入っていく。

ここで、富士太は自らの身体に火をつけ、ガス人間を道連れに爆死することを選ぶのだ。

この時、富士太が華歩になにも言い残したりしないのが非常にいい。彼は最後まで、ただ「逃げろ」としか言わない。

伝えたいことや、遺したい言葉はいくらでもあっただろう。ドラマ全体で説明台詞が多用される中で、この二人に関してはほとんどそうしたシーンがない。

富士太の身体が爆発すると、ずっと兄へと叫び続けていた華歩が言葉を失い、無言のままに川を流されていく。藤川兄妹を演じた林遣都、広瀬すず両名の演技が最高に輝く瞬間だ。

第6話最後のシーンは、岸に流れ着いた華歩の慟哭だ。直前には京子と岡本のシーンもあるのだが、今回は華歩が子供の様に泣きじゃくる姿で幕を閉じる。

正直なところ、藤川兄妹が登場した第4話から、片山監督のカメラは明らかにこの二人に寄っている。岡本や京子よりも、この二人の物語がクローズアップされているようにも見えるのだ。

何より、今回の富士太の死に際の行動は、原作における藤千代の死を連想させる。

原作において、ガス人間を抱きしめライターに火をつけた藤千代……彼女は自身の芸術の果てに、その罪ごとガス人間と心中する道を選んだ。

今回の富士太もまた、ガス人間を巻き込み共に死ぬことで怪物を止めることを選ぶ。しかし、その理由は藤千代とは大きく違い……ただ、華歩の安全だけを願った。華歩が無事に逃げるために、自分が犠牲になることを選んだのだ。

富士太が火をつけたライターが、前話で華歩がプレゼントしたライターであることも象徴的だ。

彼は世界で一番大切な者を守るために、世界で一番大切な物で、自らを殺したのだ。

“無風”の正体については本当にそれで良かったのか?

藤川兄妹の物語が感情的なピークを作る一方で、物語本筋の演出には首を傾げてしまう点が多い。

やはり何よりの問題は、今回明かされた“カイの正体”……結論から言えば、カイは第1話レビューでこのまま終わるはずがない、と書いた東京都知事の三浦威だったわけだが、そこにももはや驚きはない。ここまで大掛かりな組織で警視総監すら操る人間となると、もう政権に絡む人間くらいしか考えられないからだ。

この展開についても既視感しかないが、前話に引き続き、またもそれが明かされた際の演出が劇的でなさ過ぎる。

真犯人としての京子、無風のメンバーだった坂本、カイの正体である三浦……全8話のドラマの5〜6話まで謎を引っ張り、サスペンスとして物語を描いてきた割に、これらの演出はあまりにもアッサリし過ぎていたのではないだろうか。

吉田のボウリングシーンの方がよっぽど力を入れて見えるのは如何なものかと思う。

片山監督はDisney+ドラマ『ガンニバル』(2022〜)も撮っているので、必ずしもサスペンス演出に不慣れなわけではないと思うのだが……。

今作は演出が上滑りしているシーンがいくつかあるが、今回にしてもそれはかなり気になってしまう。

まずは、藤川兄妹のもとへ満を持して現れるカイ=三浦威だが……黒いコートに黒いサングラスで登場するのはさすがにやりすぎだ。一応政治家である。私服がどう考えても怪し過ぎる上にヤクザたちとの会話の口調があまりにも荒く、キャラクター性もヤクザに寄りすぎている。

政治家・警察・ヤクザとある意味、日本の闇の中枢三本柱のトップ層が組んだ組織であるなら、キャラクターも三者三様に演出すべきではないだろうか。

これでは、単なるヤクザ上がりで政治家にはまるで見えない。

この大友・坂本・三浦が名乗っていた“無風”がなんと彼らが高校時代に組んでいたバンドの名前だったことも坂本の妻の口から今回語られたが……彼らはホワイトセンターの前任施設長を殺害した時すら、そんな青い春の思い出を名乗っていたのだろうか……。

坂本の妻が出したそのバンドの写真の裏には「世界の全てを手に入れろ!」とアツい言葉が書いてあるが……本当にその想いが高じた結果が現在なのだろうか……。

その割には大友は第3話でのカイと思わしき人物との電話に親愛の情は感じられなかったし、坂本はアッサリと足切りされている。音楽性の違いが激しかったのだろうか……。

細かいツッコミをすべきドラマなのか、そうでないのかハッキリして欲しい

第3話で思った通り、やはり今作はあまり真面目に観るより、このようにツッコミを入れながら観る方が良いのかも知れない。

その証拠に、ほぼすべてのキャラクターで1999年の過去回想に別キャストが当てられる中、何故かピエール瀧演じる坂本だけはすべてのシーンで頑なに本人に演じさせているではないか。

高校時代のバンドの写真にまで金髪ロン毛のピエール瀧が映ってるのはもう“狙ってやっている”としか思えない。

岡本の幼い頃の写真では妙に痩せさせたピエール瀧が映っていたり、第1話では煙草を吸いながら「悪いものはうまいんだ!」とメタ的に危ない台詞を言わせたりと遊びすぎである。

そういうドラマなら、もうそういうドラマとして観させて欲しいものだ……。

言い出せばキリがないが、今回岡本が調査し直す森の死因に関しても、その時点で既に肺の内側に火傷の跡が見つかっており、元ヤクザで殺人事件の容疑者……かつ、無風に関わった男の不審死を、警察内部に内通者がいながら見過ごすことがあるだろうか。

坂本妻が京子を家に上げたのも冷静に考えればおかしな話で、前話で岡本と京子が家を訪れた際に、何故か玄関口では妙に緊張感のある態度を取りながら、その後は穏やかに紅茶を持ってきて「もう帰っちゃうの?」と言っていたりと、ディレクションと編集にも疑問を感じてしまう。

彼女は京子をどんな存在と認識していたのだろうか……。

基本的に藤川兄妹のシーンには文句をつけてこなかったが、彼らが藤代会から逃げるシーンはかなり問題で、何故あのガス人間のアジトに彼らの車はあったのか。

これは第4話で彼らが乗っていた車とナンバーも同じなので彼らの車で間違い無いと思うのだが、まさか藤代会の面々は兄妹に自分で運転させて、仲良く連れ立ってここまで来たのだろうか?

富士太よ、華歩を連れて逃げてくれ……車があったなら何とか出来ただろうし道案内のために前を走ったのならさっさと警察にでも駆け込めばまだ道はあったはずだ……。

次回へ向けて……

ドラマは完全に後半戦に入り、ガス人間の正体も、無風のメンバーもすべてが明らかになった。

あとは、物語をどう着地させるのか、という一点に掛かっている。

が、もはや筆者としては完全にこのドラマ本編の物語には共感出来ず、その中心である京子に関しても言動に違和感を覚えるばかりである。

ラストでは岡本が京子と蓮の過去を文庫ラーメンの写真から理解し、京子からの「自分で言いたかったんだけど」といった台詞もあるが、この二人の関係性も物語に積み上げがないので残念ながら特に響くものはない。

富士太を亡くした華歩がそれをどう乗り越えていくのか……既に興味はそこにしかなくなっている。

第7話へ続く

💨 ガス人間考察レビュー

原作映画『ガス人間第一号』(1960)考察レビュー

ガス人間各話考察レビュー1

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