『トト・ザ・ヒーロー』(1991)ネタバレ考察レビュー|寡作な鬼才のデビュー作 人生の選択へのテーゼ

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ジャコ・ヴァン・ドルマル全作品レビュー1

――人生の答えは何処にあるのか,本当の自分は何処にいるのか……ジャコ・ヴァン・ドルマルのすべてが詰まった魂の原点

この作品はどんな作品?

ベルギーの鬼才:ジャコ・ヴァン・ドルマルが初めて手掛けた長編映画。

人生の鋳型を自ら決めて生きてきた男の、少年期・青年期・老年期を通して、人生の選択の意味を問う静かな名作。姉弟の背徳的関係など人には薦めにくいが『ミスター・ノーバディ』の原点として押さえておきたい。

この作品はどんな人にオススメ?

自分の人生の意味に迷い、今もその迷いを捨てられない人。

自分と誰かを比べ、自分以外の人生を送りたいと願ったことがある人。

愛した人の面影を、他の誰かに重ねてしまう人。

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作品データ

原題:Toto le héros

監督:ジャコ・ヴァン・ドルマル

脚本:ジャコ・ヴァン・ドルマル

ディディエ・ド・ネック

パスカル・ロヌヘイ

ローレッテ・バンキールベッヘン

音楽:ピエール・ヴァン・ドルマル

撮影:ウォルター・ヴァン・エンデ

上映時間:91分

出演者:

老年期トマ:ミシェル・ブーケ

青年期トマ:ジョー・ドゥ・バケール

少年期トマ:トマ・ゴディ

アリス:サンドリーヌ・ブランク

幼少期セレスティン:カリム・ムサティ

青年期セレスティン:パスカル・デュケンヌ

トマの母:ファビエンヌ・ロリオ

トマの父:クラウス・シンドラー

青年期アルフレッド:ディディエ・フェルネ

幼少期アルフレッド:ヒューゴ・ハロルド・ハリソン

老年期アルフレッド:ペーター・ベールケ

エブリーヌ:ミレーユ・ペリエ

エブリーヌ(老年期):ギゼラ・ウーレン

カント氏(アルフレッド父):ディディエ・ド・ネック

カント婦人(アルフレッド母):クリスティーン・スマイスターズ

本レビューにはネタバレを含みます。

総文字数:9877文字

読み終わるまでの時間:約25分

〜筆者より〜

更新再開早々に記事が上がらなくて申し訳ありません。2週間の更新準備期間を頂いたにも関わらず、この2〜3日体調を崩してしまい、結果として本日より連載開始となります。

今回はベルギーの映画監督:ジャコ・ヴァン・ドルマル特集。……とは言え、日本で観られる長編作品は4作品。製作・脚本のみを含めれば後2,3作品は増えるでしょうが、やはりドルマルの色が濃く現れるのは長編4作品ということで、今回の連載は短いものになります。

スパイダーマンシリーズのおさらいをした後に、ジャコ・ヴァン・ドルマル……温度差で風邪をひきそうですが、これも『午前三時の映写室』らしさとお付き合い下されば幸い。

個人的には、『ミスター・ノーバディ』が同名アクション映画に毎回勘違いされるようになって寂しく思っているので、これを機に再見してくださる方が増えればブログを書く意味もあろうというものです。

目次

製作背景:構想10年、製作6年……ベルギー、フランス、ドイツ三国共同製作の良作

ベルギーの映画監督:ジャコ・ヴァン・ドルマルによる、ベルギー、フランス、ドイツ三国共同で製作された長編デビュー作。

それまでのドルマルは基本的に30分以内の短編作品ばかりを撮っていたが、20代前半の頃、彼は幼い自分が持っていた力……“生きる才能”を失いつつあることに気付いたと言う。本来、自分が持っていたはずのあらゆる可能性が見えなくなり、一つの人生に囚われていくような……そんな感覚を、ドルマルは映画という形に落とし込もうとした。

20代前半から頭にあったそのアイディアは、10年程度ドルマルの中で熟成され、1986年からドルマルは今作の製作に集中している。短編製作を一時中断し、今作の原案となる物語の断片を、脚本の形式で執筆し始めたのだそうだ。

1985年に今作脚本の初期稿を読んだプロデューサー:ピエール・ドロウトとダニー・ゲイによって資金集めが始まり、約五年の月日を経て、ベルギー、フランス、ドイツの公共放送等をスポンサーに、当時のベルギー映画としては破格の予算での映画作りが行なわれることになる。

それまでの短編映画はベルギー政府資金による製作であり、ドルマルの自由な映像・脚本作りをすることは困難だったようで、今作は初の長編であると同時に、ドルマルの作家性というものがハッキリ表れた初の作品でもあるのだろう。

脚本には撮影までの5〜6年の間に、少なくとも8回〜10回以上の改訂作業が入っており、撮影は1990年夏から14週間かけて行なわれた。

キャスティングも難航し、成人したトマについては何人もの俳優に断られ、老人トマを演じたミシェル・ブーケに至ってはドルマルが電話帳で連絡先を調べ、直接オファーしたと語られている。

何とも時代を感じるエピソードではあるが、そもそも当時のベルギーにはフランスやドイツといった国々に比べ、本格的な映画産業が育っていなかった。そうした意味では、俳優らにとっても、今作のような作品への出演そのものが珍しいことだったのかも知れない。

今作は公開年1991年のヨーロッパ映画賞、第44回カンヌ映画祭、ジョセフ・プラトー賞、アンドレ・カヴァンス賞など多数の賞を受賞し、翌年1992年にはセザール賞外国映画賞も獲得した。ドルマルはこの結果を以てハリウッドの映画産業からも声が掛かるようになり、ベルギー出身の若手監督として一躍名を揚げることになる。

2026年現在、発表した長編映画は僅か4本という寡作な監督が、20代の若き日より構想したこの物語は、静かで、けれどどこか不思議な感触を残す良作であり、この後三作の要素すべてが詰まった原点とも言える作品だ。

映像論:ベルギー映画の限られた予算が生んだリアリティと現実の揺らぎ

入れ子的な三時代の描き分けと予算不足の未来描写

今作で老人トマが登場するシークエンスは“2027年の夏”と設定されており、公開時よりかなり先の未来が想定されている。これには成人したトマのパートを公開年近くの“現代”とすることで、少年期パートの回想に、ドルマル自身の経験や見てきたものを反映させたいという意図があったのかも知れない。

物語は少年期、青年期、老年期と分かれてはいるが、映像自体の質感にそこまで大きな変化はない。本来、老人トマのいる近未来シークエンスには、もう少し大規模なセットを用意する案もあったそうだが、予算の都合か、そうした要素は今作では大幅にカットされている。

80〜90年代の作品に描かれる近未来は、2026年現在から見ると荒唐無稽かつ、細部には極めてレトロな発想が残されていて面白いものだが、この予算不足で構想を形に出来なかった未来像が、結果として現実の2026年に近くなっているというのは面白いものだ。ちなみに、後に予算規模が上がった『ミスター・ノーバディ』では、今作で出来なかったことを取り戻すかのような、ドルマルの近未来イメージを見ることが出来る。

あちらの舞台は2092年……筆者はギリギリ、もしかすると近い未来を見ることが出来るかも知れないので、今から楽しみである。

今作の物語は、どこまでが本当の回想で、どこからが“トマの描く妄想”なのかが曖昧に作られている。時代毎の世界観が入れ子人形のような作りになっており、その全てに共通して、トマが夢想する“トト・ザ・ヒーロー”がある。

トト・ザ・ヒーローはまさに1940年代のマフィア映画の世界観であり、そこに登場する諜報部員トトに、トマは自身の理想を投影している。これはドルマル自身が幼い頃に夢中で観ていたTV番組の反映であり、ドルマルにとっても一番身近なヒーローだったのではないだろうか。

幼い頃に憧れたヒーロー……子供のトマにとって、“最も強く、格好良い大人の男”。

子供は“大人の自分”を夢想し、

大人になってからは“今より立派な自分”を夢想し、

老人になれば“若かった頃の自分”として夢想する。

そんなトトの存在が三時代をシームレスに繋げつつ、物語と現実の境界も曖昧にしてくれるのだ。

現実とファンタジーの境界を曖昧にする映像演出

回想として描かれる少年期の映像にはノスタルジックな色合いがある一方、そこにはどこかファンタジー的な演出もあり、それがトマの世界の現実感を希薄にする。

父の歌う「Boum」に合わせ踊るように揺れるチューリップの花、そして、ある日飛行機から降りてきて出会った両親。トマにとって、楽しい記憶や、自分が見てきていないはずの記憶は、まるで現実感のない表現で描かれながら、何故か、生まれたばかりのトマとアルフレッドの病院の描写や、赤子の自分が感じたことは妙にリアルに描かれる。

こうしたリアリティの“揺れ”にも、まさしくトマの語る回想が、“物語”である可能性が示されている。トマの語る人生は、画面の中で常に揺らぎ、時系列も入り乱れる。

しかし今作は、それを考察し、謎解きすることを目的とした映画ではない。トマの人生は何が正解だったのか、ではないのだ。

今作が描くのはトマが“選んできた人生の結末”であり、トマの人生と、トトの物語が終わるまで。正解不正解の明確な答えを出さないまま、物語は終わっていく。

※未成年キャストの裸身と性的描写について

今作の映像を語る際、どうしても未成年キャストの扱いについては触れないわけにはいかない。

今作には少年期トマと姉:アリスの非常に官能的なシークエンスがある。これは今作のメインテーマであり、この二人の関係が、官能的でありながら、根本的なところではあまりにもプラトニックであることが、物語の主軸である。

それは映画の演出として理解は出来るのだが、やはり10代未成年のキャストがああしたシーンを演じることに関しては撮影中・撮影後のことを考えると心配にはなってしまうところだ。

ドルマルの撮るそうしたシークエンスは絵画的であり、妙なフェチズムや性的動機は感じられない。そうした映像作りはヨーロッパ的とも言えるだろう。

その上で、この物語にはそこに姉弟という背徳的な関係性も重なってくるため、それも含め、観る人を選ぶ作品ではあると思う。今作ほど露骨ではないにせよ、今作以降も、ドルマルの作品には幼い恋心と、そこにあるプラトニックな官能への憧憬を強く感じさせるシーンが多くある。その点は留意した上で、観る観ないの選択はするべきだろう。

物語論:老人トマの語る物語は何故生み出されたのか?

トマは何故“アルフレッドとの入れ替わり”の人生を“選んだ”のか?

トマの語る人生は、嘘でも妄想でもない。

ただ、その鋳型に、“アルフレッドに人生を奪われた”という物語を造り上げてしまった。そして、それがトマの人生を「これと言うことが何一つ起こらない」ものにしてしまっただけだ。

父の事故の経緯を見れば、カント家とトマの家庭には圧倒的な権力格差が存在してはいる。トマの父はアルフレッドの父に仕事を依頼されれば、嵐の日でも飛行機を飛ばさねばならない。幼いトマにとって、道を挟んで隣に住むアルフレッドの家庭は、羨望や嫉妬の的になっていたのは間違いないだろう。

トマがアルフレッドに“入れ替わり”を示唆するのは、互いの誕生日……アルフレッドが車の玩具を貰ったのを窓から見た時だ。子供同士の関係において、そうした誕生日プレゼントの差というのも、心情的にはかなり大きな問題になる。

しかし、では果たしてトマの家庭は、アルフレッドのカント家と比べ、それほど不幸で、貧しかったのか。

父を喪うまでのトマの家庭は、アリスにトランペットを習わせ、家にはピアノがあり、子供も3人いる。休日には父の歌とピアノに合わせてアリスがトランペットを吹き、非常に円満で幸せそうだ。少なくともこの時点で、トマがアルフレッドとの入れ替わりを強く願うほどの不幸は、その家庭にはないように見える。

けれど、トマにはどうしても、自分が“アルフレッドでなければいけない理由”があった。

トマは、姉であるアリスを愛した。そして、その人生を永遠に、アリスに囚われて過ごした。

トマにはアリスの弟ではない人生が必要で、その物語にはアルフレッドとの入れ替わりが必要で、そして人生の中で何度も起こる苦痛の根源として、アルフレッドという“仮想敵”が必要だったのだ。

姉を愛した弟が創作した“姉を愛せる物語”

今作は入れ子人形のような作りだ。

それは現実の、時系列に沿った回顧録ではなく、老人トマが語る物語としての回想である。

“アルフレッドに奪われた人生”というラベルをつけ、アルフレッドとアリスを中心軸に集められたエピソード……だからアルフレッドは、トマとセレスティンを虐げ、アリスを奪い、トマとエブリーヌの障壁となる。それは正確に事実を集めたのではなく、感情で織り上げた物語であり、その根底には、アリスを愛したトマの姿がある。

アリスは、幼いトマの人生で常に傍にいた。それは手に入らないものの象徴であり、それでも、どこか自分以外のものにはならないと確信していられた存在でもあった。

そんなアリスが、世界で最も憎むべきアルフレッドを愛してしまった、少なくとも、トマの目にはそんな“物語”が映ってしまった。トマの人生は、こうしてアルフレッドに奪われていった……そう思わなければトマ自身の傷を癒すことが出来なかったのではないだろうか。

姉弟であるが故、アリスとは決して結ばれない自分。

少年期のトマはアリスに、“弟と結婚した”エジプトのネフェルティティ王妃の話をする。本当の意味で彼がカント家の子供で、アリスと血が繋がっていないのなら、こんな話をする必要はない。

トマは、アリスを愛した自分のために、アリスと結ばれる可能性がある自分を生み出す必要があったのだ。

トマ自身は本当に入れ替わりを信じていたのか?

トマは、新生児の頃に病院が火事になり、アルフレッドと取り違えられたことで、人生が入れ替わったと語る。

回想の中で、トマとアルフレッドを最初に取り違えるのはアルフレッドの母だ。彼女が意図的か、無意識にか二人を取り違えたことで、二人の人生は入れ替わったことが描写される。

だが今作において、アルフレッドの母はあまりにも印象が薄い。本来であれば彼の人生を奪ったのはアルフレッドではなく母の側であり、恨みを抱いても仕方がない。

けれど、アルフレッドの母は劇中、常にアルフレッドやアルフレッドの父:カント氏と一緒にいるシーンしか描かれず、個人としての物語は一切ない。カント氏に関しては父の事故の原因として描写され、老人トマの最期にも肖像画に「さよなら、パパ」という言葉を投げかけているにも関わらずだ。

病院での回想も、自身を取り上げた“育ての母”の顔は映るが、一度は自分を取り上げ、アルフレッドと取り替えた“本当の母”の顔は映ることがない。彼女は、トマの人生において、役割がなかった存在だ。だから、その姿をトマ自身が記憶していない。“母親役”には、実際の母親がいた。

結局のところトマは、アルフレッドとの入れ替えなど、本当にあった出来事だと思っていなかったのだろう。幼少期〜少年時代のトマを回想するナレーションに老人トマのナレーションが被っているのは、それがあくまで老人トマの描く物語だからだ。

トマはカント家を父を奪った恨みで見ることはあれ、本当の両親を求めるような描写も劇中一切ない。トマの目に見えているのはアルフレッドだけであり、その恨みのすべてはアルフレッド一人に向けられている。

事故で喪った父のことも、母のことも、弟であるセレスティンのことも、トマは家族として愛していた。そして、アリスについても、血の繋がった家族だからこそ苦痛を感じていた。

トマの鋳型は、最初から歪んでいたのだ。

キャラクター考①:アルフレッドはもう一人のトマ……鏡像である二人の少年

互いを羨み、一人の少女を愛した精神的双子

トマはアルフレッドを“敵”として“設定”し、トト・ザ・ヒーローの世界においても、アルフレッドは悪役として登場している。

しかし、アルフレッドは、トマの敵ではない。二人は鏡像であり、精神的双子と言っても良い。

同じ女性に魅せられ、その死によって、自分の人生を型にはめてしまった、二人の少年。彼らは大人になることが出来ず、アリスの死で時間を止めてしまった。

青年期にトマと再会したアルフレッドは、カント家の仕事や財を相続し、トマより遥かに裕福な暮らしをしていた。

けれど、アルフレッドには幸福の色が見えない。昼間から安酒場で酔い、トマの幸福を想像で語る。その語り口にはどこか僻んでいるような響きさえあり……アルフレッドが今の人生に満足していないことは、容易に想像がついてしまう。

少年期のシーンでも、序盤でセレスティンを集団で虐げるシーンがあるものの、アルフレッドは必ずしも子供たちの中での立ち位置が高いわけでないことが示唆されている。

子供たちがナイフ投げをし、そこにトマが交ざるシークエンス……トマのナイフは見事に的に刺さり、アルフレッドは外す。すると、子供たちは大笑いしながらアルフレッドを囃し立てるのだ。

短いシーンではあるが、これは少年アルフレッドの印象をそれまでと変える重要な一場面だ。トマの目には映らないアルフレッドの苦悩……だからこそ彼は、トマに憧れ、その憧れがトマへの態度に出てしまう。

アルフレッドには、トマは「好きな事を自由にやっていた」ように見えていた。

老後のアルフレッドは仕事の失敗から殺し屋に命を狙われ、旧家に身を隠し日々怯えながら生きている。幼い頃から、その家の仕事の重さを受け止めながら生きていかねばならなかったのではないだろうか。

通りを挟んで隣の家には、家名や立場に左右されず、自由に生きるトマがいた。そんなトマの母親に自分の父が恨まれていることも、子供心に理解はしていたのだろう。

そして……自分には近づけない、アリスという少女が、常にトマの傍にいることにも。

幼い日の幻影を愛し、愛を否定した大人になれない少年たち

アリスの死後……

トマは人生に愛する人を見つける事を放棄し、

アルフレッドは、愛してくれた人にアリスの幻影を押し付ける道を選んだ。

二人はまったく違う人生を生きながら、同じように一人の少女に囚われ、そして、同じ一人の女性を傷つける。

二人の人生は、アリスがいても完成せず、アリスを喪ったことで崩れたわけではない。しかし、それに気づくまでに、彼らは長い時間を要してしまった。

「やっと完璧な女になると

その途端に女は飛び立っていく」

アルフレッドは恐らく、エブリーヌ以前にも何度も、記憶の中のアリスを作り上げようとしたのではないだろうか。

アリスが着ていたような服を着せ、アリスに似せた髪型にし、エブリーヌには、アリスが習っていた楽器までやらせた。

そうして作り上げた幻想があまりにもアリスに似ていたが故に、トマもまたその幻想を愛してしまうことになる。

トマはエブリーヌの住所を訪ね、アルフレッドに再会し、そこで“アリスに変えられていく”エブリーヌの写真を見たことで逃げ出した。

それは自身の欺瞞から逃げたのではなく、アルフレッドの影から逃れられない運命への絶望から逃げていたのだろう。だから、この時点でのトマはまだ、自身の人生を生きられない。

アルフレッドは逆に、トマと会えず戻ってきたエブリーヌから話を聞き、彼女を手放すことで、ようやく自分の人生を一歩前に進めることが出来たのではないだろうか。

ラスト、空に撒かれる灰となったトマが見下ろす地上で、アルフレッドが「女房に止められた」煙草を、隠し場所から出している姿が映る。

これは、施設で隠れて煙草を吸う序盤のトマと重なる姿であり……同時に、アルフレッドの現在のパートナーが、“思い通りになる相手”ではないことも表しているのだろう。

アルフレッドは、トマより少しだけ先に、アリスの幻影から解放されていたのだ。

キャラクター考②:アリスは少年たちにとってのファム・ファタールなのか?

父を喪った一人の“長女”としてのアリス

幼い少年たちにとって、アリスはそれほどまでに魅力的な存在だった。

少し歳上で、蠱惑的な魅力で彼らを翻弄する。けれど、アリスもまた、父を喪った一人の幼い少女であったことも忘れてはならない。

父の事故の後、その遺体も見つからず、母はどんどん疲弊していった。カント氏に掴みかかり、万引きした肉を帽子の中に隠すなど、その精神状態はかなり危うく見え、家庭の経済状況も芳しくはなかっただろう。

アリスはそんな母を常に支えていた。長女として母に寄り添う姿は劇中何度も描写されており、それはトマにも、ダウン症である弟:セレスティンにも出来なかったことだ。

幼い少女にとってそれは決して、心安らかなものではなかっただろう。

彼女が教会のマリア像を破壊するのも、カント氏の経営するマーケットで万引きをするのではなく、その商品をすべてトイレで燃やしてしまうのも、彼女がままならない環境に戸惑い、神や大人への信用を失っていったからだ。

万引きした母を反面教師にするかのように、万引きではなく、その商品を店内で燃やす。

夜中の電話に飛び起きて泣き出す母親を一人で支え続けた彼女自身も、幼い肩に背負うにはあまりにも重いものを抱えていた。

だからこそ、余計に、実の弟との関係性に沈んでいったのかも知れない。彼女にとっても、それはある種の現実逃避だったのではないだろうか。

アリスを聖域として愛したトマに、アリスの心は見えていたか

アリスは実際にトマを愛していたのか……断言するのは非常に難しい問題だ。

始まりは単なる興味本位の誘惑だったようにも見え、トマの語るネフェルティティ王妃の話を鼻で笑うような描写もある。

ただ、今作で問題になるのは、それがトマの人生にとって“どう見えていたのか”だ。

トマにとって、アリスは“永遠の聖域”だ。

アリスが生まれる描写は、父が母の手を舐める、自分が生まれる描写は海にどこからともなく落ちてきた、セレスティンは洗濯機から……トマの語る物語において、子供が生まれる際の性行為は徹底して排除されている。

これは、アリスとの関係がプラトニックで、“手を舐める”という究極の愛情表現に終わっていたからではないだろうか。

だからこそ、実際の性行為をした後のエブリーヌがアリスが言っていたことと同じことを言ったとき、トマはまるで聖域を汚されたように感じてそれを拒否した。

あれほど“アリスに似た”エブリーヌを求めながら、それだけは許すことが出来なかったのだ。

トマにとって、アリスは初めて愛した女性という以上の存在だった。だからこそ、そこに“敵”であるアルフレッドの影が見えた時、彼の世界は一度粉々に壊れてしまう。

「彼が好きで弟は愛せないのか」

トマからすれば、拒絶されたのは自分の側だった。けれど、実際のところ、それはアリスにとっても大きな拒絶だったのではないか。

父を亡くしてからの姉弟は、共依存関係に陥っていたように見える。母は疲弊し、一番下の弟は世話が必要であり……だからこそ、その二人が家に不在で、トマと二人きりで過ごせる時間こそが、アリスにとっても唯一心休まるものだったのかも知れない。

勿論、それが倫理として、姉弟の関係として健全かどうかはまったく別問題になる。年端もいかない少年少女だからこその危うさも今作は孕んでおり、その点については、やはり観ている側も簡単にその関係性を神聖視すべきではないだろう。

誰を愛していたのか……その答えはアリスが持っていってしまった

アリスの放火は、トマの売り言葉に買い言葉のようにも見えるが、彼女がその火事に巻き込まれ命を喪ったのは、彼女自身の選択であったようにも思えてしまう。

弟を愛した自分も、父のいない人生の中で様々なものを背負うのも……少女にはもう、限界だったのかも知れない。

もしくは、思った以上に本気な弟の感情への戸惑いと罪悪感があったのかも知れない。

それは物語の中では明言されはしないが、この事件がトマとアルフレッドの人生を永遠に変えてしまい、トマの中でアルフレッドの“役割”がより明確化したのは間違いないだろう。

トマを愛していたのか、アルフレッドを愛していたのか、どちらも愛されていなかったのか。

アリスがアルフレッドと会っていたのは、母が不在であることや、トマと二人でいることの口止めをしようとしたのか。

様々な解釈は出来るが、問題はそこではない。

彼ら二人にとって、聖域たる女性の命が終わり、答えの出ない永遠の片想いの日々が始まった……そこには勿論、アリスの言葉も意志も介入し得なかった。それが、今作の悲劇で喜劇なのだ。

作家論:ダウン症の弟:セレスティンの描写と人生の選択

次作『八日目』へと続くパスカル・デュケンヌの存在

またもう一つ重要なのは、弟セレスティンの存在だ。幼少期〜少年期において、セレスティンはトマの回想にほとんど登場しない。

それはその頃のトマの世界がアリスだけのものだったからであり、セレスティンは少年トマにとって大きな意味を持っていなかったからだろう。

けれど青年トマにとって、セレスティンは唯一残る肉親であり、そして、本当の意味で誰よりも真実を見ていた存在でもある。

セレスティンはエブリーヌを「アリスに似てる」と言うトマに「似てない」と言い放つ。

二人は別の人間で、服装や髪型に支配されずにその人の姿をきちんと見れば、彼女が彼女であることに気づける。

ダウン症であるセレスティンだけが、物事の本質を見抜いていた、という描写そのものは、どこか画一的で理想論的な描き方な気もしてしまうが、これは次作『八日目』でより深めて描かれることになり、『神様メール』などへも続くドルマルのテーマの一つでもある。

セレスティンを演じたパスカル・デュケンヌが実際にダウン症であり、『八日目』でも主演を務めることも合わせ、そこには批判的な見方もあるだろうが、ドルマルが描こうとする物語に、そうした視点はやはり必要なのだと思う。

トマが最後に選んだ人生の答えとは……

今作は自分の人生を鋳型にはめ込み、その選択を誤り続けた男たちの物語だ。

彼らは子供のまま大人になれず、トマは少年時代の憧れのヒーローを胸に宿したまま老人になるまで生きてしまった。

老人グループで活動するエブリーヌに再会した後、ヒッチハイクした車に乗るトマは前の車の荷台で歌う父とアリスの幻覚を見る。遠ざかる二人を見送り、アルフレッドを殺すはずだった銃を投げ捨てることで、ようやくトマは自分の人生を選び直す機会を得たのだ。

トマが最後に選んだのは、“アルフレッドになる”ことではなく、“アルフレッドとの入れ替わりを信じた老人として死ぬこと”だったのだと思う。

それは彼が真の意味でトト・ザ・ヒーローになった証であり、だからこそ、その死に際のナレーションはまるで諜報部員トトが喋っているかのように仰々しいものなのだろう。

トマは、父が遺した時計も最後まで身につけていた。彼はやはり、取り違えられた子などではなかったのだろうし、本人もそう理解していたのだと思う。

総括:高らかに笑い、空を舞う……一風変わった人生讃歌

今作は、後の作品のように派手な映像もなければ、物語にわかりやすいフックもない。どちらかと言えば、ヨーロッパ映画的な本当に“地味な”作品と言えるだろう。

姉弟の背徳的な関係や、未成年キャストの裸体を映している点など、人に薦めにくい作品でもある。しかし、ドルマルが20代前半で構想した、この人生についての物語は、結果としてこの後の『ミスター・ノーバディ』や『神様メール』に脈々と続いていく、ドルマルの作品の核たる部分だ。

空から降ってきて、火事の取り違えで始まった男の物語は、遺体を燃やされ、灰となって空に撒かれることで終わっていく。

父を喪った飛行機から世界を見下ろし、高らかに笑う老人トマの声には、赤子の泣き笑いの声が重なる。幼少期の記憶に囚われ続けた男は、ようやく無の状態に帰れた。だからきっと彼は最後に一度だけ、正しい選択をして終われたのではないだろうか。

今作は人生讃歌だ。トマの人生には、もっと幸福になる道はあったし、その死に方も含め、映画は決して幸せそうには見えないかも知れない。それでも、ラストの笑い声は、そんな彼の人生を、誇らしく讃えて終わっている。

次作でドルマルは、再びある男の人生を描く。自分の正しさを信じてやまない男が、自分以外の目線から人生を見つめ直した時、そこには天地創造からの七日間を超えた、もう一日が現れる。

そうしてドルマルの創作は、あらゆる選択と可能性を肯定する物語へと続いていくのだ。

評価/鑑賞日

⭐ 3.5 / 5.0
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📕ジャコ・ヴァン・ドルマル 全作品考察レビュー

八日目(1996)

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