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連続ドラマレビュー
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――私がやっている全てのことに理由があるの
by Dr.アリシア・フェイバー(演:エイミー・アキノ)
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作品データ
原題:Spider-Noir S1.Episode05:Betrayal
監督:アレシア・ジョーンズ
脚本:ジェニファー・フラジン
スティーヴ・ライトフット
原作:Marvelコミック『スパイダーマン・ノワール』
音楽:クリス・バワーズ
マイケル・ディーン・パーソンズ
主題歌:カービー
「Saving Grace」
製作:Sony Pictures Television
配信:Prime Video
出演者:
ベン・ライリー/ザ・スパイダー:ニコラス・ケイジ
ジャネット・ルイス:カレン・ロドリゲス
ロビー・ロバートソン:ラモーン・モリス
フランキー:キャリー・クリストファー
フィン・バーン/シルバーメイン:ブレンダン・グリーソン
キャット・ハーディ:リー・ジュン・リ
フリント・マルコ:ジャック・ヒューストン
ルビー・J・ウィリアムズ:アマンダ・シュル
Dr.アリシア・フェイバー:エイミー・アキノ
オグデン:アンドリュー・ロビンソン
ジェームズ“ジミー”アディソン:ジャック・マイクセル
※本レビューは第05話の完全ネタバレレビューとなります。
筆者は配信全8話視聴済みですが、出来る限り05話時点のネタバレで語ります。
Sony製作『スパイダーマン』シリーズ
および原作コミック等についても言及有。
総文字数:5086文字
読み終わるまでの時間:約13分
第5話短評
ここから2話連続、これまでのドラマの雰囲気と大きく変わり、今作におけるザ・スパイダー、及びヴィラン達の起源に迫っていく物語となる。
ドラマとしてもここからが後半戦であり、第5話で大きく方向性を変えることで、アメコミ原作の物語としての舵を切ることが出来た。
とは言え、相変わらず時代背景への鋭い目線もあり、今作特有の重厚な雰囲気は崩れない。
戦争の影が生み出した異能力者たち
冒頭の回想では、まさにムーズ=アルゴンヌ攻勢の場でベンが何を見たのかが語られる。
ここからの映像はこれまでの作風とかなり変わり、捕虜収容所の奥まった場所で行われていた非人道的な実験……スパイダーたちの起源は、モノクロ版で観るとフィルム・ノワールよりもむしろ無声映画時代のホラーに近い。
ベンをザ・スパイダーに変貌させた蜘蛛人間には妙に不恰好な特殊メイクが施され、その造形は、『ザ・フライ』(1986)のハエ男のような生理的嫌悪を催すものだ。
戦時中のベンを演じるニコラス・ケイジは恐らくCGによるディエイジング処理……所謂若返り加工がされているようなので、この無骨な特殊メイクは、CGでも出来るものを“敢えて”そうしているのだろう。
原作『スパイダーマン』では放射線を浴びて突然変異した蜘蛛に噛まれ、
『スパイダーマン・ノワール』ではもう少し呪術的に、《蜘蛛神アナンシ》に力を授けられることで主人公ピーター・パーカーはスパイダーマンとなるが、今作ではそのどちらとも違う独自のオリジンが描かれている。
今作で重要なのは、ベンも含めた能力者たちが皆、“戦争によって生み出された負の遺産”として演出されることだ。今作は物語全体で、舞台となる1930年代に根付いた設定・演出が組み込まれており、それはヒーロー/ヴィランのオリジンについても変わらない。
彼らはドイツ軍の実験で生まれた存在であり、その能力と引き換えに寿命も縮まっている。
ザ・スパイダーとなったベンは時に蜘蛛の習性や癖に悩まされると言い、前回のメガワットとの戦いの後に手足が妙な形に固まり、まるで蜘蛛が壁を這うときのような動作をしていたのもそれが理由のようだ。
今作の能力者たちの能力は必ずしも万能ではなく、むしろ、代償としてのデメリットの方が大きく表現されている。
「人間性を取り戻すのに時間がかかった」
前回、台詞を覚え切るほどに観ている映画があったのも、フランキーに俳優を真似て自分のフリをしろと言っていたのも、そこにはスパイダーになってからのベンが、そんな自分自身をどう受け入れてきたのかが透けて見える。
一連の回想シーンで捕虜たちがベッドに縛り付けられ、その傍らのガラス管に入れられた動物や植物と繋がれている姿は実に残酷で悍ましいものだ。
手足を震わせ、意識があるのかもわからないような状態の兵士たちの姿は、モノクロ版で観るとどこか『ジョニーは戦場へ行った』(1971)なども想起させ、そこに唐突にクリーチャーたる蜘蛛人間が現れることで、この場の異常性はより強調される。
ベンが部下に言い放った「すべて焼き払え」という台詞には、そんな事態を引き起こした戦争への憤りや、恐怖のすべてが詰まっており、少なくともそこにいた兵士たちは、あのまま解放するにはもうあまりにも手遅れだったのだろう。
皮肉なのは、ベン自身がそうした実験のある種の成功例であり、無事に解放したはずの捕虜たちもまた、後のフリントやロニーのように、彼らと同じ末路を辿りつつあることだ。
Marvel原作文脈への接続とメッセージ
Marvelの原作的な話で言うと、この実験はジャネットが言うように“失敗した《スーパーソルジャー計画》”のようなものであり、ドイツ軍の実験ということで《ヒドラ》との関連性も想起させるものになっている。
スーパーソルジャー計画とはMarvelの大人気キャラクター:キャプテン・アメリカを生み出したものであり、原作世界観の第二次大戦時、人間を超人兵士に生まれ変わらせるために特殊な血清を投与したというものだ。
同じくヒドラも第二次大戦時に存在した組織で、ナチスの流れを汲む秘密組織とされている。こうした要素が見え隠れすると、これまでのフィルム・ノワール的な世界観から一気にアメコミ作品らしい物語になる。
今作では捕虜たちに放射線を浴びた植物や動物の遺伝子を注入・結合する実験が行われており、その遺伝物質は時と共に劣化し、突然変異で死亡する可能性もあることが明かされる。
これはフリントやロニーがドクター・フェイバーの治療を受けたことで判明した事実であり、前回登場したメガワットも含め、今作の能力者たちは皆フェイバーにより潜在した遺伝子が目覚め、能力が開花している。
彼女は彼らを救うつもりで死に導いており、中盤ではベンとロビーはその秘密を探り、記事を書くことでそれを告発しようとする。
このドクター・フェイバーも今作のオリジナルのキャラクターだが、彼女の研究もまた、エゴと狂気にまみれながら、誰かを救おうとする意志に囚われたもので、今作の能力者たちのオリジンを語る上で欠かせない存在だ。
ただヒーローやヴィランが生まれた経緯を描くだけでなく、そこにある種のメッセージを込める。アメコミ作品とは元来、遥か昔からその時代や世相に合わせ、そうしたメッセージを込めてきたものである。
登場人物の言動から透けて見える1930年代の時代性
1930年代のアメリカには、これまで語ってきた通り人種や性別の差別があまりにも深く生活に根ざしており、法の隙間を掻い潜る犯罪者が力を持ち、戦後の爪痕も残っていた。
今回、ロビーはフェイバーの研究を記事にすることで黒人初のピューリツァー賞を狙うと言い、前回のメガワットとザ・スパイダーの記事を持ってデイリー・ビューグルへの復帰を狙うが、オフィスに戻った彼に浴びせられたのは元同僚たちの“信じられないようなものを見る目”であり、更にこのオフィスには白人しか見当たらない。
事実、史実の上でも初の黒人のピューリツァー賞の受賞は、1950年の詩人:グウェンドリン・ブルックスまで待たなくてはならなかった。
フリントがロニーをシルバーメインの部下として引き入れようとする際も、ロニーは「もう白人のために命は懸けない」と言って断ろうとする。この台詞は、ここへ来て今作で初めて、ハッキリとした台詞で黒人から白人への拒絶が語られたものだ。
ここまでの積み上げがあったからこそ、死を前にしすべてを失ったロニーのこの言葉は重く響き、フリントからの「元気なうちに思い切り生きようぜ」と言う言葉に説得力も出る。
この二人は、人種も違い、当時同じ部隊にいたはずもなく、捕虜として共に死地を潜り抜けた。だからこその絆がある。
フリントとロニーはシルバーメインの下についてからも決して人を殺すことはせず、メガワットを脱獄させる際も、警察を一人たりとも殺さず、警備員のことも「失せろ」と遠ざけている。
1話でもフリントはベンを傷つけようとはしておらず、こうした細かい描写を登場人物のキャラクター像として積み上げられるのは、ある程度の長さを使えるドラマシリーズならではだ。
キャットはファム・ファタールなのか?
これまでの前半戦で描かれた通り、今作におけるベンは、ザ・スパイダーである自分から“逃避している”。
力を極力使おうとせず、スーツを捨てた元ヒーロー。闘う姿はヨレヨレで、時にウェブは不発に終わり、スウィングをすれば転びかける……フリントたちはザ・スパイダーを探していたが、ベンもまた、シルバーメインを通して彼らに関わることで、能力を捨て去る術を探していたのだ。
能力を持つ者たちの中で、ザ・スパイダーだけが変異が安定し、今も生存し続けている。
フェイバーにとっても、フリントたちにとっても、スパイダーが姿を消しさえしなければ、自分たちが生き残る方法がわかったかも知れないという希望がある。
そして、それはフリントを生かしたいキャットにとっても同様だ。
今回のラストは、ベンにとってあまりにも残酷な決断がキャットによって下される。
キャットはロニーに連れられてフリントに会い、「栄光の中で死んでいく」と言うフリントを救うために、ベンをフェイバーに引き渡すことを決めてしまう。
前回ラストでキャットとベンは心を通わせ合い、今回はついに二人で何もかも捨てて逃げ出そうという夢を見る。フリントとは叶わなかった夢、何もないギリシャのサントリーニで、クラブを開く夢。
しかしこれは恐らく、ベンにとってだけの夢だ。
キャットはこのドラマの中で、一度たりともフリントの存在を忘れたことはない。彼女にとってベンはあくまで代替であり、その心には常に、フリントへの愛だけがあったように思える。
キャット・ハーディというキャラクターは、純然たる意味ではフィルム・ノワールにおけるファム・ファタールとは言えない。
彼女は魔性で男を破滅に導くようなキャラクターではなく、ただ逃げたかっただけだ。シルバーメインという支配者から、この不条理な世界から逃げるための愛を探していた。
結果として、キャット自身の意思の強さを感じるシーンはあまりなく、物語の中で常に流されているだけにも見えてしまうが、これは単純にキャラクターの魅力がないと断罪するのも難しい。この時代のアジア人女性の生き方は、劇中登場人物の誰よりも厳しかったことは間違いないからだ。
逃避を求めたヒーローと,支え続けた友の声
そんな中で、ベンがキャットのことを話したときの、ロビーやジャネットの反応が良い。
彼らは5年間、ルビーを失い、抜け殻のように生きてきたベンを支え続けた仲間たちだ。ジャネットにしろ、ロビーにしろ、探偵:ベン・ライリーとザ・スパイダー、ベンの二つの顔のそれぞれと仕事をしており、ベンがそのどちらも放棄してしまったことで、彼らも大恐慌の時代に職を失ったも同じだった。
それでも二人は、ベンが再び立てるようになるまで、ただひたすらに傍にいた。
ドラマが回を増すごとにこの三人の掛け合いはこなれてきており、前回冒頭の酔ったベンの真似をするロビーとのやりとりも非常に微笑ましかった。
今作が人種や、性差による1930年代の不平等を背景として克明に描いてきたからこそ、この三人のそうしたものを超えた友情が輝く。
ベンは二人にキャットのことを告げる時、それが否定されることを見越して先に言い訳を用意している。けれど、二人はベンの言葉を決して否定しない。それどころか、ベンがルビーの死から立ち直ったことを、ただただ、心から喜び、祝福している。
この第5話時点ではまだ、ベンの方が心を開き切っていない。前回で彼が家に誰も招いていないようだと書いたが、ベンの家の鍵は、まだ閉まったままなのだろう。
今作は全8話通し、ベンがザ・スパイダーである自分とどう向き合うかが大きなテーマだ。
今作は恐らく、ザ・スパイダーの復活譚で、新たな誕生譚となるのだろう。
だから、この第5話までの間に、ヒーローとしてのベンには良いところがまるでない。探偵としては、力を取り戻し始めている。けれど、ザ・スパイダーとしての彼は、まだ壁の奥に仕舞われたままだ。
キャットとの逃避行もまた、ベンにとっては5年続いた逃避の一環でしかなかったのかも知れない。
確かにベンは、キャットを愛したのだろう。ルビーの死を乗り越えるために、彼女の存在は必要だったのだと思うし、彼女に告げた言葉も嘘ではなかっただろう。
しかし、シルバーメインとモリスの対立は街に大きな影を落とし、シルバーメインの配下には、超能力を持つ3人の部下まで加わった。ベンはそのことを、シルバーメインから直接聞き及び、彼らと話してすらいるのだ。
捕虜であった彼らを救ったとき、ベンは同じ部隊の兵士がドイツ兵に撃たれたことを思い出している。
「もしあの時俺が撃たれていたら こんなことになってない」
責任の一端が自分にあると自覚しながら、ベンは自分の中からザ・スパイダーを消し、愛に逃げ込もうとしている。
そこに、ヒーローとしての矜持はない。
スーツを取り戻しても、メガワットの逮捕に協力しても、まだベンは、ヒーローにはなれていないのだ。
次回へ向けて……
シルバーメインは能力者たちの力を使い、市長との戦いを有利に進めようとし始めている。
中でも今回脱獄を果たしたメガワットは、フリントやロニーと違い、勾留中の自身に拷問に近い取り調べをしたとは言え、警官をまるで舞台で役を演じるかのように芝居がかったやり方で殺し、二人との違いが際立つ。
この男が仮にフェイバーの解毒薬が出来たとて、果たして大人しくそれを受け入れるのか……。
次回はフェイバーの研究所という閉ざされた空間で、少ない登場人物で物語が進む異色回であり、物語もいよいよ佳境へと向かう。
第6話へ続く

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