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連続ドラマレビュー
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――本当の事を知ってるのに何もしなかったら,いつかきっと自分を憎むようになる
by 小畑広紀(演:酒向芳)
作品データ
原題:ガス人間
監督: 片山慎三
脚本:ヨン・サンホ
リュ・ヨンジェ
原作:『ガス人間第一号』
(監督:本多猪四郎 / 脚本:木村武)
音楽:大間々昂
主題歌:サザンオールスターズ
「いとしのエリー」
製作:東宝
配信:Netflix
出演者:
ガス人間:UTA
岡本賢治:小栗旬
甲野京子:蒼井優
森靖利(上場企業「ビットマネートレード」社長):竹野内豊
森靖利(過去):野村周平
阿部美智子:芋生悠
吉田則夫:こばやし元樹
西山達也(テレビ局JNT 報道記者):伊島空
伊花純一郎(テレビ局JNT 報道局長):古舘寛治
小畑広紀(憩いの場「うみかぜ」施設長):酒向芳
小畑広紀(過去):中島歩
翔太(「うみかぜ」入居者):柊木陽太
加藤新一(元記者):近藤芳正
科学捜査研究所の職員:三石琴乃
山崎慎三(指定暴力団「藤代会」組員):三河悠冴
さつき(孤児):原寧々
パーム(「三好弥」店員→寿司屋「しゃり王」配達員):ローハン・ジテンドラ・ケムラニ
※本レビューは第02話の完全ネタバレレビューとなります。
筆者は配信全8話視聴済みですが、出来る限り02話時点のネタバレで語ります。
リメイク元映画『ガス人間㐧1号』についても言及有。
総文字数:4737文字
読み終わるまでの時間:約12分
第2話短評
第2話では《ホワイトセンター》の全貌が明らかになり、ガス人間の出自、前話で語られた“この社会を牛耳る奴ら”であろう“むふう”(第2話時点ではこの言葉が何を意味しているのかはハッキリしていない)という組織の名前も明らかになる。
二人目の被害者も出ることで、物語のサスペンス色がますます強くなり、過去と未来が交錯して描かれる展開だ。
全8話の割にやや展開が早く、ガス人間の正体のヒントやそのターゲットは今回で次々に明かされていくので、逆にまだこの時点では物語の着地点がどうなるのかは見えてこない。
ただし、何となくぼんやりと見えてきた物語のテーマには、筆者としてはやはり今一つノリ切れていないままである。
PARCO等Netflix資本による実名背景のリアルと名優陣の演技
今回は前回とは違い、ガス人間が大暴れするようなアクションシーンはなく、事件の謎に迫る京子と岡本それぞれの視点で物語が描かれる。
とは言え、やはり映像には充分な見応えがあり、終盤で京子が藤代会のチンピラに追われる舞台はなんとPARCOの店内。看板も映像にしっかりと映っている。
地上波ドラマだとどうしてもこういった商業施設が伏字になったり謎の改名が行われ、そうした小ネタを探すのも楽しいものではあるが、今作のように実際に外を歩けばそこにある風景の中で物語が展開されることで、作品への没入感やリアリティは格段に増す。
アニメ映画の話ではあるが、新海誠監督が描く東京が妙にリアルなのも、こうした実在の風景を再現するために予算を使っているからで、そうした撮影が実写で可能になるのもまさにNetflixの強み。こうした現代劇では、特にそのリアリティが強みになる。
キャスト陣の演技も相変わらず最高で、特に今回から登場した竹野内豊演じる森靖利の存在感は抜群だ。
元ヤクザで現在は上場企業の社長という設定のキャラクターではあるが、やけに真っ白な歯、眉のない顔、と明らかにその企業が真っ当なはずがないということが一目でわかる。
撮影の裏話として竹野内が語っていた話で言うと、この森の過去のシーンを演じた野村周平が眉を落としており、先に撮られたその映像を観た竹野内側で演技やメイクを合わせていったのだと言う。そのためか、今回岡本を挑発するシーンでは、竹野内の表情に完全に野村がオーバーラップしてくる。
ほんの一瞬のシーンではあるものの、この表情にはかなり驚かされ、そこにはまさに野村の十数年後の姿が見えたようで、互いの演技プランががっちりと噛み合っているのがわかる。
過去回想のシーンを他の役者が演じる場合、時に明らかに同一人物とは思えないような無理のあるキャスティングを見ることもあるが、今作には、ここからの全話を通してもそういった不自然さはほとんど感じられない。
今回登場するキャラクターで言えば、酒向芳が演じた小畑広紀の過去を演じる中島歩は逆に、演技は勿論メイクや雰囲気で見た目を出来る限り寄せている印象だ。
どちらにしても、過去と現在を一本に繋げるディテールの細かい積み重ねによって、ドラマのクオリティは担保されている。こうした細かい部分が適当になってしまうと、物語がいくら面白くとも、そこが気になって入り込めなくなってしまうこともあるので、この様な丁寧な演出と演技を重ねてくれると余計なノイズがなくて良い。
人物描写を掘り下げる細やかな演技と演出
演出に関しても、細かい部分で人物描写を掘り下げており、特に今回の物語でメインとなるホワイトセンターの元所長:尾崎=小畑の夢遊病の描写は秀逸だ。
中盤、小畑が何もない場所で扉を開ける仕草から、そのままシームレスにその姿が過去の容姿へと変わり、実際の回想シーンへと切り替わっていく。このシークエンスには小畑の後悔と痛みがよく表されており、その後現実に戻った際の慟哭も含め、既に“帰れないところ”にいる姿が観ている側にも伝わってくる。
(ここも演じた二人がちゃんと似ているからこそ映像がシームレスに繋がる)
また細かい部分ではあるが、岡本が京子にプロポーズをしようとして待ち惚けを喰らうレストラン……京子の裏切りの証明であるニュースを流す岡本と、その背後で明るく祝われる見知らぬ他人の誕生日、という残酷な対比も映像表現として非常に効果的だ。
本来であれば岡本にとっても同じ様に、幸せな日になるはずだった一日が最悪の形で壊れてしまったことを、静かな映像描写で見せていく。捜査も行き詰まり、この後岡本はこれが原因で謹慎処分も受けるわけで……よく普通に日常を送れているものだ、凄いぞ岡本。
今作は、物語の本筋には絡まない部分での演出に特に良いシーンが多い。
例えば今回、京子がホワイトセンターの情報を買う元記者の加藤は、話し始めた瞬間からどこか遠くを見ている風で様子がおかしく、喫茶店の珈琲に突然懐から取り出した酒を入れるなど、明らかに正常とは言えない姿を見せてくれる。こういった1話限定のゲストキャラクターにも、良いキャストを揃え、良い演出がつくことで、その背景の物語が見える様になっている。
メインキャストである阿部にしても、明らかに京子の在り方に嫌悪を感じている様子なのが前話からしっかりと演出されており、警官としての正義感や責任以上に、同性としての京子への嫌悪感が混ざったような演技は、脚本に書かれている以上の解釈が光っていた。
説明台詞の多さと本軸の物語のご都合展開
ただ、そうした素晴らしい役者の演技や演出がある一方で、逆にどうしても気になる点は出てきてしまう。これはやはり、今作においては脚本による問題が大きいのかも知れない。
今作は画によって物語を伝えるシーンと、台詞で説明し過ぎるシーンの差が顕著にあり、それが全体の見え方を、前回に引き続きチグハグにしてしまっている気がするのだ。
中盤の夢遊病シーンの演出が良い一方、小畑が海へと歩いて行った冒頭シーンでは「また寝ながら歩いて行ってましたよ」と妙に説明的な台詞が飛び出す。
こうした所謂“説明台詞”……脚本のト書きごと台詞にしてしまったような場面はドラマ全体で随所にあり、今回過去回想で森の犯罪を立件できずに酔い潰れた岡本を京子が介抱するシークエンスなども、寝言であそこまでブツブツ感情を吐露されるとさすがに不自然さが気になってしまうというものだ。
登場するチンピラやヤクザの構成員が妙に画一的な表現なのも気になるところで……と言うより、全員尽くクスリでもやっているかのような表現になっているのはやりすぎだろう。
小畑を殺す男は特にひどく、一度刺した後は幻覚でも見ているかのように取り乱しているが、その割にタクシー運転手に変装して小畑を待つなど冷静さは妙にあり、京子と小畑の電話も、大事なことをすべてきっちり言うまで待ってから刺している。
こういった脚本展開のための演出と、妙にリアリティのある演出が同居しているために、余計にドラマ全体の空気感に観ている側が迷ってしまう。
恐らくこれが、地上波ドラマであればもしかしたらそこまで気にはならないのかも知れない。
しかし、今作はNetflixオリジナルコンテンツとして、大作映画並みの予算規模の映像を作り、通常であればなかなか一堂に会することが叶わない豪華キャストを集めた作品である。
その重たい画が前に出ているために、余計に気になるところが目立つ結果となってしまっている。
第2話の個別テーマ:自身の罪とどう向き合うのか
今回は2人目の被害者である小畑の物語が中心となるが、ここで小畑を殺す第三勢力としてヤクザ組織:春日組直系藤代会が登場する。
この藤代会はガス人間の次のターゲットとして予告もされており、ホワイトセンターを取り囲むガス人間の復讐対象も必ずしも一枚岩ではないことが示唆され、物語はここで一気に動き、複雑化していくことになる。
小畑に関しても必ずしも悪人として表現されているわけではなく、夢遊病のシーンでも描写されるように、1999年に起こったガス人間の出自にあたる事件への後悔が語られている。
この小畑が現在運営している施設《うみかぜ》の少年:翔太を通して小畑が過去の罪と向き合う物語であり、“自身の罪とどう向き合うか?”が第2話の大きなテーマとなっている。
翔太の学校でのイジメ問題を中心に、小畑が京子にその秘密を明かすまでが語られていくが、結果として翔太が単純に小畑の言葉に感化されるわけではないのも、物語の落とし所として非常に良かったと思う。
人は必ずしも理想の通りには動けない。どんなに心に従おうとしても、正義を貫こうとしても、恐怖に負けてしまうこともある。
かつての小畑もそうであったのだろうし、だからこそ彼は翔太を否定しない。翔太の恐怖を肯定し、その上で小畑は、そんな子供たちを裏切らないために行動に出るのだ。
こうした第2話の持つテーマや物語は非常に良いものを描いているが、本筋の物語の流れにその余韻がかき消されてしまうのは残念だ。
特に、翔太と小畑に関しては翔太が「やっぱり本当のこと言えないです」と吐露したところが別れとなっており、自身の罪の精算に向かおうとした小畑が無惨に殺されてしまうという顛末も含め、あまりにも残酷な物語が描かれている。
終盤、刺された小畑にカットインで翔太の姿が僅かに挟まれるが、ここはもう少し長く、ラストに持ってきても良かったのではないだろうか。
この淡々とした演出がより残酷さを表しているという意見もあるとは思うので、個人の好みの話にはなってしまうが、これは第2話のメイン軸でこれ以降は語られない物語だからこそ、ほんの少しの余韻は欲しかったものだ。
リメイク比較に意味はないのか?物語は何を受け継いだ?
小畑のエピソードが、単純ではない人間の心の機微を描く一方、ガス人間に関わる物語は前話の嫌な予感が当たりつつあるような……ひどく単純化された表現のように感じてしまう。これが、筆者が今ひとつ今作にノり切れない要因だ。
今回小畑の口から、1999年に本来“社会福祉事業”として作られたホワイトセンターが乗っ取られ、社会的弱者を人間燃料にするつもりで利用された、ということが語られていく。
これ自体は、1999年と2026年の現在を繋げる物語として、そのテーマは必ずしも悪いものではない。
ただ正直なところ、前話での“社会を牛耳る者”と合わせ、随分と陳腐なテーマに収束していきそうだという気はしてしまう。
あまり原作との比較に意味はないと言いつつ、やはりリメイク作品としては原作から何を受け取り、何を受け継ぎたかったのか、は重要なポイントだ。
原作のガス人間:水野の背景には戦後の若者の苦しさが滲んでいた。進学の問題や、就職困難、困窮する生活の中でどのように生きていくべきか……。
戦後間もない時代の中で、どのように人の生活が変化し、その中でどのような苦しさを人々は感じていたのか。それを現代に置き換えた時に、それはどう表現されるべきだろうか?
第2話の段階でまだそこに対して答えを出すのは性急にすぎるだろうが、その置き換えがやや安直な気がしてしまうのだ。

次回へ向けて……
ドラマ全話レビュー、第2話の段階だが、正直なところここまでの評価はあまり高くない。
今回は他にも前話に引き続き、どうにも本軸の物語の演出にご都合主義的な展開が目立ち、そこで突然にリアリティラインが下がる瞬間があるのを感じる。
前回岡本が食堂で助けた青年が再登場するのは良いが、出前でたまたま入っただけの藤代会について詳し過ぎたり、京子に同行した西山が銃を向けられながらそのすべてを録画していたりと、どうにも展開のための展開が続く。
身分を隠して名前まで変えた小畑が、自分に直通する携帯番号を一介の記者が少し調べればわかる場所に記載しているのも考えてみればおかしな話だ。
次回は藤代会がガス人間のターゲットとなり、本軸の復讐の物語がまた動く。
ドラマが折り返す前に、どうにか気持ちが盛り上がって欲しいものである。
第3話へ続く

💨 ガス人間考察レビュー

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