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連続ドラマレビュー
前話レビューはコチラ

――君は圧力に屈せず本当のことが言える志願兵だ。
by ゴロ監督(演:髙嶋政宏)
作品データ
原題:ガス人間
監督: 片山慎三
脚本:ヨン・サンホ
リュ・ヨンジェ
原作:『ガス人間第一号』
(監督:本多猪四郎 / 脚本:木村武)
音楽:大間々昂
主題歌:サザンオールスターズ
「いとしのエリー」
製作:東宝
配信:Netflix
出演者:
ガス人間:UTA
岡本賢治:小栗旬
甲野京子:蒼井優
藤川華歩:広瀬すず
藤川富士太:林遣都
ゴロ監督(映像制作会社「イン・ザ・ソックス」社長):髙嶋政宏
謙太/ケンタ(ホスト):賀来賢人
ミミ(元・地下アイドル「ドリームサキュバス」メンバー):森川葵
ミホ(元・地下アイドル「ドリームサキュバス」メンバー):羽原美優
ユリ(元・地下アイドル「ドリームサキュバス」メンバー):溝口奈菜
マイ(元・地下アイドル「ドリームサキュバス」メンバー):愛い姫
アヤカ(元・地下アイドル「ドリームサキュバス」メンバー):鳴島煌浬
アンナ(元・地下アイドル「ドリームサキュバス」メンバー):麻倉瑞季
※本レビューは第04話の完全ネタバレレビューとなります。
筆者は配信全8話視聴済みですが、出来る限り04話時点のネタバレで語ります。
リメイク元映画『ガス人間㐧1号』についても言及有。
総文字数:6128文字
読み終わるまでの時間:約16分
第4話短評
第4話は連続ドラマの中に1話は存在する特殊回。演出や雰囲気が変わり、メイン軸である岡本や京子、ガス人間もほぼ登場しない。
なんとED曲もこの回限定で差し変わり、劇中の地下アイドルである《ドリームサキュバス》の「わがままナイトメア」のMVがフルで流されている。
(イメージショットとオフショットが掛け合わされた作りが妙にリアル!)
本来であれば特殊回はある種の“箸休め”であり、観ている側の好みも分かれるものになるはずだが、今作の場合むしろこちらが本道なのではないか?と思わせるほど演出の筆もノり、片山監督自身楽しんで撮っているのが感じられる。
藤川富士太・華歩の配信者兄妹も非常に魅力的で、ようやく視聴者の共感が乗るキャラクターが登場してくれた感がある。
……一方、本筋の物語においても重要な要素が明かされたが、その展開に関しては、やはり疑問を抱かざるを得ない点があるのだ。
コメディ回のキャラクターが一番リアリティラインが高くなっている
底辺配信者の動画作りがリアル
今回の物語の中心である富士太・華歩の兄妹は、ドラマ本編からすれば完全に中心軸の外側にいる存在だ。ガス人間を追う警察関係者でもなければ、復讐のターゲットでもなく、勿論ガス人間の協力者でもない。
彼ら兄妹は第1話で登場した通り、現状再生数がまったく伸びない“底辺”配信者であり、ガス人間に関連する生配信を放送しても、《フジタとカホの恐怖地帯》の閲覧者は10人に満たない。
さすがのNetflixでもYouTubeの名称は使えなかったのか、劇中では“Ytube”となっているが、富士太の部屋には「銀の盾!!」といった張り紙もあるので、基本的には現実のYouTubeと同じようなものだと考えて良いだろう。
劇中時間軸で最も“アツいネタ”で閲覧者10人に満たない彼らに銀の盾が届くのはいつになるのか……考えるだけで恐ろしい。
近年の映像作品にはこうした配信者の設定がよく使われるが、その中にあって《フジタとカホの恐怖地帯》の底辺配信者ぶりはなかなか再現度が高く感じる。
映像作品の中に登場する配信者はどうしてもプロの手が入るため、その動画の作りが実在のものより“TV番組的表現”に寄りすぎる。
今作では、閲覧者の少なさや、恐らく自分たちのアカウントで押したのであろう高評価1、テンションが空回ってる富士太の仕草や、無駄に気合いを入れるもクオリティは決して高くないアニメーションなど、細かい部分にいかにも底辺な雰囲気がよく表現されている。
イヤホンで遠隔の指示出しをし合うところや、どんな状況でもとりあえずカメラを回そうとしているところも配信者あるあるだろう。
「わがままナイトメア」の無許可撮影など、低予算感溢れるMVと合わせ、今回はその“売れない表現者達”の描写に丁度いいリアリティが生まれているのだ。
第4話は“何者にもなれなかった者達”の物語
前回の藤代会があまりにもフィクショナルな表現だった一方、今回登場するキャラクター達は、その解釈が実にうまい。
ゴロ監督も恐らく、劇中世界では“知る人ぞ知る”ホラー監督なのではないだろうか。一般人にはそこまで知名度はないが、マイナーなB級/C級ホラー好きには妙に馴染みのある存在……彼が監督した地下アイドルのMVに、中古で2万円以上の値がついているのも妙にリアルで、そのこだわりの強さがうわ滑った人物描写と小さな事務所含め、“どこかにいそうな”存在感がある。
地下アイドルからゴロ監督の事務所スタッフになり、ホストにハマっているミミにしても、アイドルのマネージャー業から俳優を目指し、ホストの生活にすっかり安住してしまった様子のケンタにしても、ちゃんとコメディ回のキャラクターとして機能しながら、そこには現実世界にいそうな人間味と、劇中で表されなかった様々な物語が透けて見えている。
やはり前話レビューでも述べたように、片山監督の本領はこうした演出・キャラクターでこそ生きるのではないだろうか。
今回のキャラクター達は、これまでの説明台詞や不自然な人物描写が嘘のように厚みのある演出によって、ほとんどの人物がたった1話の出番にも関わらず強烈な印象を残してくれる。
ホストをやりながらも、華歩の語る物語の語り口に不満を露わにして自ら語り直したり、役を求めてすぐに自分の話を切り出していくケンタの様子には、俳優としてなんとか大成したい願望が漏れ出る。
ミミが歯紅だらけだったり、MV撮影で一人だけ明らかにやる気が感じられないのも、彼女が愛媛の実家から出てどのようにして今の姿に行き着いたのかが想像できてしまう。
どのキャラクターもデフォルメされたコメディキャラクターであるはずが、シリアスな物語を描いて来た前3話までのキャラクターよりイキイキと描かれているようにも感じられ、また彼らが皆どこか社会に敗れた存在であるのも面白いのだ。
バックボーンの物語がなくても藤川兄妹の人生が映像から伝わる
それは勿論、富士太と華歩にしてもそうで、今作では、二人の過去や、これまでどう生きて来たのか、そのバックボーンは語られない。
これは脚本推敲の際に物語のテンポを活かすために削られたことが片山監督の口から語られており、説明台詞が多すぎた今作で敢えてそうした演出を取ったことで、逆説的にこの二人こそが最も人間らしいキャラクターになっている。
カーテンで仕切られた部屋の中、華歩の部屋には画材やイラストに関連した本が整然と並べられ、床には彼女が描いたのであろう、“顔にアザがない自身の自画像”が所狭しと並ぶ。
一方の富士太の部屋にはホラー関連のDVDやVHS、ポスターなどが滅茶苦茶に並べられており、生活感に溢れすぎた汚さや、DVDだけでなくVHSソフトが並べられているところに、富士太のマニアックな趣味がきちんと反映され、そこには兄妹の生きて来たこれまでと、二人の性格の違いがハッキリと映し出されているのだ。
好きな監督が撮っているという理由で兄妹管理の経費を使い込み、DVD1枚に大枚をはたく富士太の姿もまさにオタクのそれであり、そんな兄を本気で怒るわけでもない妹の姿も、きっとそんな兄妹のやりとりは日常茶飯事だったのだろうと納得できる。
ちなみにこのDVD、中身を観てみたら結果としてガス人間の情報に繋がっただけで、恐らく富士太は本当に観たかったというだけの理由で買っているのもリアルなオタク感である。
映画好きの筆者としては、気持ちは痛いほどわかる。
彼らが住む屋上のペントハウスの横には《酒 ふじかわ》という古惚けた看板を掲げた小屋もあり、もしかしたらこのビルも、二人の親が遺した建物なのかも知れない。富士太の部屋には母の遺影が飾られ、二人の口から母の話は出るが父の話は出ない。そんなところからも、彼らの家庭環境が暗示的に推察できる。
富士太が事あるごとに言う「笑門来福」=笑う門には福来るという言葉……二人がどのように親を亡くし、どんな風に過ごして来たかは想像するしかない。けれど、兄である富士太はこの言葉を糧に、顔に生まれながらアザがあり外に出たがらない妹を支えて生きて来たのだろう。
こうした部分を深掘りすればこの兄妹の物語だけで全8話の物語も構築できてしまうような気もするが、けれど、それは二人の台詞や生活に匂わす程度になっている。
藤川兄妹は、物語の外側から、ドラマの本軸へと巻き込まれてしまうキャラクターである。
しかし、前回レビューでは原作『ガス人間㐧1号』の藤千代の名前を、藤代会というヤクザ組織によって雑に消費しているのではないか?という不満を書いたのだが、こうして見ていくと、このドラマ本軸とは別のところから現れた藤川兄妹こそが、原作から真の意味で藤千代の物語のDNAを受け継いだキャラクターなのではないのかと思わされるのである。
原作のDNAを最も強く受け継いだのは,本編から最も遠いキャラクターだった
「藤」千代と「藤」川兄妹の名前の類似点から見るキャラクター性
「藤」 川「富士」太・華歩という名前に藤千代との共通点を感じると言うのも勿論あるが、二人は底辺動画配信者という、2020年代の視聴者にとって最もわかりやすいクリエイティブ業に関わる存在だ。
それが現状ではまったく生活に繋がっておらず、富士太がバイト生活をしている点にも、没落した日本舞踊流派の家元であった藤千代と重なる意匠がある。
この兄妹の関係には、原作映画におけるガス人間:水野と藤千代の関係性すら反映されているのではないだろうか。
最終的に互いの価値観を根本的には理解し合うことが出来なかった(ように見えた)原作の二人と違い、血縁という絆で結ばれた富士太と華歩には、打算も性愛も絡まない純粋な愛情と思いやりがあった。
原作における水野はあくまで、藤千代を女性として愛し、求めていた。藤千代が命さえ賭けた芸事よりも、藤千代自身の存在に関心があり、だからこそ彼らは悲劇的な結末を迎えることになったのだろう。
しかし、この兄妹の場合は互いを深く理解し、兄は妹のコンプレックスを払拭し、外の世界に触れさせたいと心から願っている。
「お前は一生、俺とだけと話して、俺とだけ飯食って、俺とだけ過ごしていくんだな?」
これはケンタに廃墟の場所を聞き出すため、どうしても華歩をホストクラブに潜入させなければならないが為に出た言葉ではある。
けれど、富士太はずっと、そんな妹を心配し、彼女を解放したいと願ってきたのではないだろうか。終盤、ガス人間の秘密に触れた時、華歩はすぐに警察に伝えるべきだと言うが、富士太は金のため、動画のため、それには決して頷かない。
「あたしは今のままでも、そう悪くないと思ってるよ」
華歩の言葉を富士太が否定するのは、自身の自己顕示欲や承認欲求の影響もかなり大きいだろう。配信者をやっている以上、富士太にそれがないはずはない。
けれどそれ以上に、富士太には、妹である華歩が今よりもっと幸せになるために、彼女が外に出て過ごせるようになるために、出来ることをすべてしたかったのではないだろうか。
妹:華歩のコンプレックスとその解放を望む兄:富士太
富士太は華歩に対し、決して強要はしないが動画配信に“顔出し”することを望んでいるよう描写される。
富士太は、自分たちの不人気なチャンネルに、彼女が出れば人気が上がることをきっとほぼ確信している。それは、誰よりも妹を愛し、信じているからだ。
「お前は、自分が思ってるより美しいんだよ、わかってる?」
外に出ることに怯え、車の中にいても、人目を気にして目を逸らす華歩の本当の美しさを知る富士太だからこそ、彼女の今の生き方も、彼女の過剰なコンプレックスにも納得はできていないのだ。
けれどその一方で、「好きでこの顔に生まれて来たわけじゃない」「あんたに何がわかんだよ!」という妹の悩みを、誰よりもそばにいたからこそ理解もしている。
だからこそ、富士太はガス人間の情報を売り、得た金で最初に華歩の顔の治療を約束するのだ。富士太は原作の水野と同じように、自己顕示欲や承認欲求もある。金に対する欲求もある。
けれど、水野の底に藤千代への愛があったように、富士太の行動にも根底には華歩への愛がある。
同時に、今回現れたゲストキャラクターの多くが“夢破れた者たち”だからこそ、富士太がその枠を抜け出そうとする切実さも伝わってくる。それが、この物語においてどんな結末を生むのか……原作映画の水野に彼が対応するとするなら、不穏な空気を感じざるを得ない。
今作において、ここまでの3話ではガス人間の内面は一切描かれず、岡本や京子も、今ひとつ何を考え、何を目的に行動しているのか見えてこなかった。
そういう意味でも、第4話にしてようやく、物語の主人公、観ている側が共感を持って物語の視点を置けるキャラクターが登場し、リメイクとしての意味が生まれたとも言えるのではないだろうか。
本編の重要事項……ガス人間の秘密
今回は本編とはまったく関係のないところから現れた兄妹が、本編とは関係のないところでガス人間の秘密に近づいてしまうエピソードだ。
終盤で明かされることになるが、今回の物語は第3話と同時進行で起こっており、第3話の裏で起こっていた、という展開になる。正直この二つの物語は特に関連性があるわけでもないので、それが明かされても特別な驚きはなく、演出として適切だったとは言い難い。
それより何よりも問題なのは、今回明らかになったガス人間の秘密についてである。
全8話のちょうど折り返し、進行としては自然だ。しかしどうしても納得できないのが、今作のガス人間が、自分の意志を持たぬ操り人形のような存在であったことが明かされたことだ。
第1話で岡本と京子にとって共通言語となっていた曲……今作のメインテーマであるサザンオールスターズの「いとしのエリー」がガス人間を目覚めさせるトリガーになるという設定は、選曲の意味は今後の物語次第なので一旦捨て置こう。
しかし、ガス人間本体に意志がないという設定はまた随分と思い切ったことをしてしまったものだと感じるし、そこに物語として意味が生じるかどうかよりも、やはり疑問や違和感の方が強く出てしまった。今回の物語の内容を観る限り、これまでの殺人にもターゲットたちを殺させている黒幕が存在しており、その存在がガス人間の起動システムも作り上げたということになる。
第1話でガス人間の口から語られたホワイトセンターの告発も黒幕が言わせた原稿ということになってしまうのか……
そうなってしまうと、ガス人間は単なる大量殺人兵器になってしまい、そこにどんな理由が介在したとて、彼自身の意志や感情が残っていないのなら物語の前提条件が変わって来てしまう。
一応、今回ガス人間が石像から人間の姿になる際には涙を落とす描写があり、まだ彼が本当に意志を失くした存在かどうかは断定できないが、この第4話まで観てもやはり、物語本筋への不安は拭えないままだ。
次回へ向けて……
藤川兄妹は本来ならば第7話から登場する予定であり、本当に物語の最後の流れに組み込まれるはずのキャラクターだったということがインタビューでは明かされている。
それを第4話、物語の中継点に持ってきたのは、Netflixドラマの“途中離脱をさせないために、面白いものは先出しにする”という鉄則からだと言い、製作者サイドも今作において、この兄妹のキャラクターこそが重要な要素だと自覚的に演出していたことになる。
その通り、この二人は本当に魅力的で、この二人が出て来たことでドラマの面白さは一気に増したと思う。
しかし一方で、ドラマの本軸はいよいよ取り返しがつかないほどに破綻して来たような気もしてしまい、前話での春日組藤代会やガス人間に意志がないことなど、原作映画の世界観を尽く悪い方向にリメイクしている気さえするのだ。
兄妹に情報提供を求めたdadashowが京子であったことは観ている誰もが想定の範囲内だったとは思うが、そのハンドルネームにも現状劇中名称としての意味はなく(恐らく脚本家ヨン・サンホの制作会社《Studio DADASHOW》から取っていると思われる)、更には最後にガス人間のアジトに京子がやって来たと言うことは、京子は既にあの場所やガス人間の存在を把握していたことにもなる。
物語はいよいよ折り返しを超えて佳境であるが、どうにもこのままいくと望まない終わり方をしそうであり……筆者はこの段階で完全に、藤川兄妹を観るためにドラマを観るという観方に切り替えてしまっていたことは明言しておきたい。
第5話へ続く

💨 ガス人間考察レビュー

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